創業から270年以上の歴史を持ち、鹿児島のシンボル的な存在として愛され続ける百貨店・山形屋。私的整理に踏み出すとの報道があった10日、多くの買い物客や周辺の自営業者からは驚きの声が上がった。老舗の再生への決断に「鹿児島に欠かせない存在」「なんとか踏ん張ってほしい」と県民からは期待とエールの声が寄せられた。
週2回ほど来店するという鹿児島市西陵1丁目の主婦、山口蔦代さん(72)は「もしなくなったら天文館の灯が消える」と不安を口にした。この日は知覧茶を10~15袋ほど、贈り物用に購入。「山形屋の商品だと相手も喜んでくれる」と欠かせない百貨店だという。
1751年創業の山形屋は「ふるさとのデパート」と自負する通り、広く県民に親しまれてきた。食堂のやきそばや金生まんじゅうといった看板商品、北海道物産展などの名物催事を多く持つ。贈り物の際は、中身は同じでも包装紙や紙袋で山形屋を選ぶ顧客も多くブランド力は絶大だ。
同市荒田1丁目、井上律子さん(86)は子どもの頃「屋上近くの階段から、港を出航する船を見送った」と思い出を語る。以前建物内にあった洋裁学校に通っており、友人と食堂でご飯を食べた思い出が感慨深いという。「鹿児島で唯一無二の場所。必ず経営再建してほしい」と思いを込めた。
同市下伊敷1丁目の自営業、田畑光一さん(80)は、アミュプラザ鹿児島やイオンモールの登場で「客が流れたのではないか」とみる。全国各地で百貨店が経営難にある現状に「山形屋は同じようにならず、事業継続してほしい」。従業員に対しても「待遇が悪くならなければ」とおもんぱかった。
周辺の自営業者は、山形屋が地域に与えてきた存在感の大きさを強調する。同市金生町の納屋通りで78年続く乾物店「中原商店」の店主中原時宏さん(64)は「かつて山形屋の休館日になると、通りにほとんど人がいなくなるほど影響は大きかった。自店の営業とも深く関わってきた。必ず元気になると信じている」。
以前は、現在の天文館ベルク広場にあった喫茶店「茶房元」は、山形屋の増築計画のため2006年に店を移転した。店主の元山敏彦さん(71)は「鹿児島に欠かせない存在だからこそ移転を受け入れた。思い出が詰まっており、経営難で倒産するとは思えない。踏ん張ってほしい」と願う。
競争の激化で、百貨店の置かれる状況は全国的に厳しい。市商店街連盟の有馬勝正会長(81)は「(山形屋には)他の大型商業施設にない魅力がある。県内でのブランド力を見ても、なくなるとは考えにくい。着実に再建への道を歩むはずだ」と話した。