Netflixで再アニメ化された『T・Pぼん』の試みとは 藤子・F・不二雄の手腕などから紐解く

『ドラえもん』をはじめ、数々の魅力ある漫画作品を生み出し続けた、日本漫画界の巨人の一人、藤子・F・不二雄。その未完の連載作品『T・Pぼん』が、新たなアニメシリーズとして映像化され、Netflixからリリースされている。Netflixとともに製作を手がけているのは、“アニメ界の「ぼん」”こと、スタジオ「ボンズ」だ。

ここでは、『T・Pぼん』から感じ取ることのできる原作者・藤子・F・不二雄の手腕と、作品の狙いへの考察を基に、本シリーズの内容から垣間見える、作品全体のテーマとは何なのかを考えてみたい。

原作となった漫画『T・Pぼん』は、現代の日本に生きる平凡な中学生・“並平(なみひら)ぼん”が、『ドラえもん』の世界にも登場する組織「タイムパトロール(T・P)」の仕事に従事することになるという物語が描かれる。ある日ぼんは、T・P(タイムパトロール)隊員の少女、リームと出会ったことで、彼女の導きのもとに、さまざまな時代、場所に時間旅行し、歴史にかかわらない人物の救命活動をするようになっていく。

そこでは、藤子・F・不二雄の得意なSF設定に加え、過去の世界史、日本史についての知識が、ときに最新の学説を採用しながら物語に織り込まれていく。本シリーズでは、古代エジプトの古王国時代に「史上初のピラミッド」と呼ばれる「ジェセル王のピラミッド」の建築家の物語や、日本で稲作が始まった弥生時代にあたる紀元前1600年に、東南アジアのルートから日本に渡った、日本人の先祖の物語など、原作のエピソードがそれぞれ1話完結の形式で映像化されている。

気づかされるのは、原作の持っていた読みものとしての面白さや、テンポの早さだ。本シリーズはアニメ作品として原作の各シーンに微妙に肉づけをしているが、そこに大幅な付け加えをせずとも、素早い展開で物語がぐいぐいと進み、自然なかたちでエピソードを充実させている。これはもともと、藤子・F・不二雄が短いページ数のなかで、必要不可欠ではない描写を省略する技術に秀でていたためでもある。この大胆に飛躍した構成の見事さは、彼が仕事中によく聴いていたとされる、五代目古今亭志ん生の落語からの影響もあったと思われる。

本シリーズで、最初に強い衝撃を受けるのは、エピソード5「魔女狩り」だ。かつてヨーロッパで猛威をふるったという「魔女狩り」そのものが題材となる。当時、多くの女性が根拠なく魔女だとされ、一方的な裁判や拷問を経て火あぶりなどの処刑を受けたという、人類の負の歴史だ。

ここで描かれていく、350年前の南フランスで、よこしまな男の逆上によって一人の少女が拷問を受け焼かれていく過程は、目を逸らしたくなるほどに陰惨。このような残酷描写は原作にも存在し、雑誌掲載時から単行本発表の際に加筆されたものでもある。なかなか地上波では表現しにくい原作の描写が、配信作品であることで可能となった箇所であるといえよう。

『T・Pぼん』 は、1989年に日本テレビ系で放送されたアニメスペシャル版が存在する。その脚本を担当した雪室俊一が手がけている、藤子・F・不二雄原作の『ミノタウロスの皿』のアニメ版(オリジナルビデオ作品)もまた、少女に対する社会的、因習的な暴力が描かれていた。本シリーズの拷問シーン同様、これがとりわけショッキングなものとして映るのは、『ドラえもん』に代表される藤子・F・不二雄の、子どもを対象とするような、かわいらしい絵柄でそれが表現されているからだろう。

藤子・F・不二雄のポップなキャラクターデザインは、アニメーション向きであるともいえるが、本シリーズでは、そこをあえて崩し、漫画のペンタッチを感じさせる、ザラっとした輪郭線が特徴的である。これは2005年以降版の『ドラえもん』アニメシリーズの一部でも見られた手法だが、ともすればシンプルになりすぎてしまうキャラクターたちの表現に複雑性をとり入れるという意味で効果的だといえよう。

エピソード8「戦場の美少女」で描かれるのは、1945年沖縄での日本軍による航空特攻作戦だ。ここでおこなわれたことは、日本軍の操縦士たちを戦闘機ごとアメリカの艦船に突っ込ませるという無謀かつ非人間的なもので、甚大な被害と犠牲者が生まれている。ぼんは一人の軍人を救出する命を受け戦場にたどり着くが、アメリカ軍も日本軍も次々と命を落としていく、地獄のような惨状を目の当たりにすると義憤に駆られ、「誰彼区別することないよ、みんな助けりゃいいんだ!」と叫ぶ。

さまざまな時代と場所で窮地に立たされる人々の物語といえば、サイレント期の名作映画『イントレランス』(1915年)が想起される。「不寛容」をキーワードに、歴史のなかで虐げられていく人々の姿が交互に映し出される内容は、まさに本シリーズの内容そのままだといえる。そう考えれば本シリーズは、藤子・F・不二雄なりの『イントレランス』だと見ることができる。

同時に、歴史に名を残す「偉人」といわれる者たちではなく、いまでは忘れ去られた大多数の側の人々を救おうとする、本シリーズの内容は、宮﨑駿監督の『もののけ姫』(1997年)同様に、裏側から歴史を描こうとする試みだとも考えられる。

“並平ぼん”という主人公が、平凡な存在であることを強調されているように、いつの時代も、どこの場所でも、権力の中心の座につこうとするのでなく、平凡に生きる幸せを享受したいと願う人々が存在する。原作も、本シリーズも、そういう生き方をする大多数の“ぼん”たちへの賛歌となっていると感じられるのである。

本シリーズ(全12エピソード)は、原作の途中の印象的な箇所で、唐突なラストを迎えることになる。だが、心配することはない。シーズン2が2024年7月より配信されることが、すでに発表されているのだ。原作で描かれた、ぼんの時間の冒険は、まだ継続されるのである。注目は、完結しなかった原作の先の展開に本シリーズが足を踏み入れるかどうかという点だろう。そこへの興味を含め、夏を楽しみに待ちたいところだ。

(文=小野寺系(k.onodera))

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