大岩J優勝の要因、五輪を逃した韓国の問題点...“日韓の違い”を韓国の熟練記者が指摘「日本の最大の功労者は...」

1993年の「ドーハの悲劇」は繰り返されなかった。U-23日本代表は、U-23アジアカップでパリ五輪出場権獲得はもちろん、本大会2回目の優勝にも成功した。

ウズベキスタンの黄金世代を迎えて苦戦が予想されたが、試合が始まる前から幸運の女神が日本の方に笑顔を見せた。ウズベクの攻守で主軸だった3人が所属チームへ復帰することにより決勝戦に出場できなかった。

大岩剛監督は前半戦で得たインサイトを後半戦に活かして交代カードを投入し、これが終了直前の決勝ゴールにつながった。後半のアディショナルタイム、小久保(玲央ブライアン)がPKを見事にセーブし、日本が通算2度目の優勝を決めた。大会を通じて最高のパフォーマンスを見せていたウズベクはオリンピック出場権獲得だけに満足しなければならなかった。

U-23アジア杯で、日本は予想通り23人の平均点が最も高いチームだった。そのおかげで大岩監督は毎試合ターンオーバーを行いながらチーム全体のコンディショニングを最高の状態に保つことができた。主力と非主力の差が最も少なかったチームらしく、日本は試合ごとに先発メンバーを大きく変えながらも一定のパフォーマンスを維持した。

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トーナメントに入ると、ある程度スタメンが固定化されたが、後半に交代で入った選手も先発陣に劣らないパフォーマンスを見せ、90分間を通して、いい状態で試合を作ることができた。これは個人の技量だけでなく戦術的な実行能力のレベルを示すところでもある。ウズベキスタンと共に、日本は自分たちが追求するスタイルを最も確実に実装する能力を持ったチームだった。

日本優勝の最大の功労者は藤田(譲瑠チマ)と小久保を挙げたい。藤田は中盤の底でチーム全体のプレーを調整した。いつでもどこでも周囲の状況を完璧に把握した状態でボールを扱った。相手MFは藤田がキープレーヤーであることを認識しながらも徹底的にマークできなかった理由もそのような状況把握の習慣と正確なパス能力を兼ね備えていたからだった。

相手がプレッシャーをかけようとしても、藤田はすでにプレーを終えたのでマーカーの努力が無駄になる場面が多かった。ただ、フィジカル的にまだヨーロッパの5大リーグで競争するには足りないように見える。日本のA代表として成長するためには、もっとレベルの高くて厳しいリーグで経験を積むといいのではないだろうか。

小久保の真価は決勝戦の後半アディショナルタイムに献上したPKの場面で発揮された。キッカーのシュート方向予測が見事に的中した。彼の集中力と自信は見る者にも伝わるような気がした。

大きな大会で結果を出すにはレベルの高いゴールキーパーの確保が不可欠だ。出場5試合で4完封の小久保は日本の優勝の大きな原動力となった。

一方、韓国はベスト8でインドネシアに敗れるという悲惨な失敗を味わった。1988年から続いていたオリンピック連続出場記録が9で止まった。サッカーの観点からはオリンピックとアジア大会の意味は薄いが、韓国では両大会とも大きな比重を占めている。1970年代から形成され始めたスポーツにおける国威宣揚という精神が今も続いているからだ。

帰国後、ファン・ソンホン監督はU-23代表チームの運営をオリンピックに合わせて4年周期する必要性を訴えた。日本は基本的に、アジア大会をオリンピックのために選手に経験を積ませる場と捉えている。だが、韓国はアジア大会も年齢制限いっぱいのU-23チームで挑む。そのため、同大会に出場した選手が五輪予選では年齢制限で出場できないという弊害が発生する。

今回の失敗を教訓として、日本のように長期的なプランを立て、韓国サッカー協会(KFA)がアジア大会にU-21代表で出場し、そのチームが成長して2年後のオリンピックに臨めるようにプランを変更するかが注目される。

文●ホン・ジェミン(フリーランス)

【著者プロフィール】
英サッカー専門誌『Four Four Two』韓国版の編集長など経てフリーに。2024年のアジアカップでは日本戦も全試合取材。韓国代表ファン・ヒチャンの自宅で独占インタビューを行なうなど選手の信頼も得ている。

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