小杉湯原宿に花王、サッポロビール、アンダーアーマーらが集まったワケ。経済性も文化性も諦めないための「カギ」とは

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高円寺の老舗銭湯「小杉湯」は、銭湯の文化を100年先も続けるために、原宿に今春オープンした商業施設「ハラカド」の地下一階に「小杉湯原宿」をオープンした。5月13日からは、一部時間帯が一般向けに解放される。

小杉湯は銭湯の運営にとどまらず、地下一階のスペース「チカイチ」の運営も担当。チカイチの「素のまま、そのまま」のコンセプトを軸に、花王、サッポロビール、アンダーアーマーを展開するドーム、美容健康家電のMYTREXと名だたる企業が集まった。

各社とも、主語はあくまで「小杉湯」だと口をそろえる一方、経済性も諦めていない。なぜなら、ビジネスの現場にいる彼らは、思いだけでは100年続かないとわかっているから。

経済性と文化性。相入れないように見える2つはどう交差するのか。小杉湯の関根江里子さん、花王の野原聡さん、サッポロビールの野並祐介さん、ドームの野田佳宏さんが語り合った。

左から小杉湯の関根江里子さん、花王の野原聡さん、ドームの野田佳宏さん、サッポロビールの野並祐介さん

名だたる企業たちが小杉湯とパートナーシップを組んだ理由

ーー小杉湯の前には縁側のようなスペースがあり、その横にはビールが飲める場所や、休憩できる座敷、ストレッチできるスペースなどがあります。この地下一階の空間はどのような場所なんでしょうか?

関根江里子さん/小杉湯:
名前は地下一階だからシンプルに「チカイチ」にしました。これだけ情報に溢れた時代と原宿の街だからこそ、チカイチではそれを全部削ぎ落として「素」になれる場所を目指しています。小杉湯がただただ綺麗に湯を沸かし続けてきたこと、企業やブランドの根底にあり続ける思いを、コンセプトの「素のまま、そのまま」の一言に込めました。

当初は、地下一階をイベントスペースにしたり、名前をセントラルアパートがあった場所にちなんで「銭湯ラルマーケット」にしたりする案もありました。それも分かりやすくて素敵なのですが、商業的に聞こえてしまうリスクがありました。「文化が文化のままであり続けることこそが、結果的に一番経済を回せるんだ」と信じ続け、経済も文化も両立できる形を模索し続けました。

小杉湯原宿を街の銭湯として長く続けていくことを考えて最終的に見えてきたのが、今までになかった「体験価値」を提供することで、結果的に銭湯の良さも引き立っていくような場所を作ることでした。

ー私も仕事終わりに小杉湯原宿に行ってみました。子どもが裸足で駆け回っていたり、動画クリエイターに話しかけられたり、パソコンを開いて座敷で仕事をしている人がいたり、本当にいろんな人がいる空間に驚きました。3社はどういった経緯で小杉湯とパートナーシップを組むことになりましたか?

野原聡さん/花王:
元々ブランドの企画などで高円寺の小杉湯とお付き合いがありました。私は過去、洗剤なども担当していて、小杉湯のタイルの間の「目地(めじ)」の綺麗さに驚いたんです。

目地はすぐにカビが生えることをよく知っているので、「こんなに綺麗に保たれているなんてすごい」と小杉湯3代目の平松佑介さんと話が盛り上がりました。

そこから、石鹸に始まり「清潔・清浄」を100年以上届け続けてきた花王と、「綺麗で清潔で気持ちのいいお風呂を届けたい」という小杉湯初代の遺言を守り続けてきた小杉湯で、「原宿から清潔・清浄の文化を世界に発信できたら」と話し始めたんです。

花王はビオレやメリットなどブランドごとには発信していますが、花王の企業としての精神を発信する機会はあまりありませんでした。原宿から清潔・清浄の価値を世界に伝えたい、という平松さんの熱意が弊社の幹部にも伝わり、一緒にやっていくことになりました。

小杉湯原宿の中で花王の商品が体験できる

野田佳宏さん/ドーム:
弊社の「アンダーアーマー」は再来年で30周年を迎えます。スタートアップブランドとしてここまで成長できたのは珍しいと言われる一方、創業時から大切にしていたアスリート一人ひとりとの結びつきが少し弱くなってきてしまっているという課題がありました。

アンダーアーマーは今こそ原点に立ち返る必要がある。その場所として「チカイチ」はピッタリでした。偶然にも、創業者が事業をスタートさせたのは、ワシントンDCに住む祖母の家の地下一階だったそうです。

アンダーアーマーの最初のプロダクトはアメフト選手のアンダーウェアでした。それまで防具の中にコットンのTシャツをきていましたが、汗をかくとなかなか乾かず臭くなってしまう。そこで、テクノロジーを駆使し、化繊で吸汗速乾性に優れた素材を用いて不快感を取り除いたのが原点です。

チカイチでは弊社の原点と重なるような体験を小杉湯とともに提供するため、誰でも利用できるランニングステーションとストレッチスペースを用意しました。ランニングで汗をかいて、その汗を小杉湯で綺麗に流してさっぱりする体験を一緒につくっていきたいと思っています。

アンダーアーマーが用意したランニングステーションとストレッチスペース

野並祐介さん/サッポロビール:
サッポロビールの黒ラベルは1977年、熱処理ビールが主流の時代に生ビールを届けたい、という思いを出発点に生まれました。

黒ラベルは、自分なりのこだわりや価値観を持っている人を応援するブランドでありたいと思っています。ただ、みんなが一足飛びにそうなれるわけではありません。

自分なりのこだわりや価値観が生まれるきっかけになるのが、自分の内側と語る時間なのではないかと考えています。銭湯から上がって素に戻り、自分と語り合う時間に、黒ラベルはピッタリだと思いました。

ブランドとしては好調で今目の前に大きな課題があるわけではなかったのですが、ブランドの将来を見据えた時に必要な「体験価値」とチカイチの「素のまま、そのまま」が結びついて、ご一緒することになりました。

チカイチに並ぶサッポロビールの黒ラベル

新しい形の挑戦、苦労した点は?

ーー3社ともあくまで主語は「小杉湯」で、商品を売るのではなく「体験価値」を届ける。しかも最初から長期的な取り組みを見据えている、という新しい取り組みですが、苦労した点はありましたか?

野田さん/ドーム:
アンダーアーマーでは、普段モノを売るビジネスをしているが故に、「体験価値を届ける」という新たな座組みの話を通すのは決して簡単ではありませんでした。

それでも小杉湯とパートナーシップを組めたのは、「体験」はたしかに売り上げにもつながるというデータが近年明らかになっていたからです。弊社のアプリを軸にしたメンバーシップの中でも、ランニングイベントやヨガ教室などに参加した人の方が、年間でより多く来店し、商品を購入してくれることがデータで分かっていました。

何より、私自身もランナーですが、走って、銭湯に入って体をきれいにして、ビールを飲むって最高じゃないですか。「こんなに良い体験はありませんよ」と社内を説得しました。

左から花王の野原聡さん、ドームの野田佳宏さん、サッポロビールの野並祐介さん

野原さん/花王:
弊社はスピードが要求されたのは大変でしたが、やること自体のハードルは高くありませんでした。創業の原点の価値観をそのまま届けられればいいという、非常に素直な企画だったからです。

プロジェクトメンバーはそれぞれ違うブランドの担当が集まるという、花王にとって非常に新しい取り組みでした。普段ブランド横断的に考えることが少ないメンバーなので最初は心配していましたが、平松さんと関根さんの熱意に引っ張っていただいたおかげでオープンまで無事辿り着きました。

気をつけたことは、社内で『このスペースはブランドが使っていいんでしょ』とならないようにすることです。つまり、広告色を全面に出さないこと、ブランドよがりにならないこと、です。チカイチに来るひとは銭湯に入りにきているわけで、ブランドを見にくるわけではありません。街の銭湯を体験する中でどう花王を好きになってもらうかが大切なので、その前提は崩さないように気をつけました。

野並さん/サッポロビール:
私は「主語が黒ラベルではなく小杉湯」ということを社内に理解してもらうのに苦戦しました。

原宿の街の多様な人が訪れる小杉湯とチカイチで、素になって自分の内側と語り合う。この「体験価値」はパソコンの中で説明してもなかなか伝わらないこともありました。

それでも、今後人口が減っていく中で「新しい次」をどう生み出すかと考えた時に、ハラカドやチカイチはすごく可能性があるなと思っていました。黒ラベルが主語ではないこの場所で、最終的にブランドが目指す「自分なりのこだわりや価値観を持つこと」のかっこよさや憧れをお客様に感じて持って帰ってもらえるような設計にできれば、すごく素敵な場所になると思って、平松さんや関根さんの熱意に支えてもらいながら社内を説得しました。

サッポロビールの野並祐介さん(左)と花王の野原聡さん(右)

チカイチが秘めた未来の可能性とは?

ーーみなさん、それぞれチカイチに未来の可能性を感じていると思います。経済性も文化性も諦めずに持続可能にチカイチを続けていくために目指している風景や、やってみたいことはありますか?

関根さん/小杉湯:
銭湯のような風景が全区画に広がるのが目標です。銭湯の中って、例えば緑の髪色の女の子の隣に高齢のおばあちゃんがいたり、元気な人の横に認知症の人がいたりする。年代や性別といった「狭い軸」ではなく、生活環境もバックグラウンドも、見た目も考えも違う人が同じ場所にいる空間なんです。

例えばハラカドの3階に入った「れもんらいふ」のクリエイティブディレクター・千原徹也さんは、「昔自分が憧れていたクリエイターに古着屋で会っても話しかけられなくて、そのクリエイターが帰った後に同じものを買って帰った。それでもちょっと近づいた気がして、その人のようなクリエイティブを作りたいと思って頑張った」と話していました。

そんな経験がある千原さんだからこそ、「チカイチで黒ラベルを飲んでる僕を見たら、『話しかけてみようかな』って思ってくれたら嬉しいし、座敷で仕事をしてたら話しかけてほしいし、僕は走ってるランナーを横目に帰っていきたい」と言ってくださっていました。

そんな風に、千原さんのことを知らない人も、憧れている人も、どんな人でもこの空間にいられる、人を選ばない場所を目指しています。

野田さん/ドーム:
変な言い方ですけど、チカイチが高円寺の街みたいになればいいなと思うんです。この前、月曜日の朝に高円寺のコワーキングスペース「小杉湯となり」に行ったんですけど、仕事をしている人もいれば、近所の人とおしゃべりしている人や、木桶作りの教室に参加している人もいました。

ブランドって、なかなかそういうのできないというか。やろうと思っても、どうしてもシャットアウトされる人が出てきたりします。高円寺の小杉湯のような光景が広がれば、いろんなものがしっくりしてくる気がしています。

経済性のところで言うと、弊社はメンバーシップを軸にしていきたいと考えています。メンバーシップの売り上げの1%を活用して、子どもたちと「走り方教室」をしたり、高齢の方と「ウォーキング講座」をしたりして、街の人と交流していけたらと考えています。

野原さん/花王:
私はチカイチで「内輪」をやってみたいと思っています。

マーケティングの視点で言うと、認知自体はテレビCMで取れますが、好感を持ったり共感されながら認知を得るのは結構難しいんです。やっぱり熱量の高い体験を作っていかないと共感されません。

今の時代、デジタル化が進んで情報はどこでも取れます。しかし結果的にデジタル上に広がる情報は、すごく狭いコミュニティの中で生まれた、高い熱量のものです。まさに原宿は昔から、狭いコミュニティの小さい熱量を作ってきた文化のある街です。「内輪」の熱量が高ければ高いほど、自然と外に広がっていくと思っています。

野並さん/サッポロビール:
今、おそらく多くの人が「隙間時間も含めていかに消費するか」みたいな時間の使い方をしていると思うんです。いろんなものに縛られている日常の中で、チカイチに来て解放されて素に戻る体験をすることで、「生活の主役である自分」を取り戻せるような場所になればいいなと思っています。

経済性と文化性を両立するカギは、やっぱりコミュニティだと思っています。チカイチでただ黒ラベルが売れればいいわけではありません。コミュニティや街の人との繋がりを大切にしていくことが、この先、経済性と文化性を両立するカギになると考えています。

結局、サッポロビール1社でできることは限られています。皆さんが集まったところから生まれる何かじゃないと、絶対この先の解決策は見出だせないと思っています。

左から小杉湯の関根江里子さん、花王の野原聡さん、ドームの野田佳宏さん、サッポロビールの野並祐介さん

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