中国の丹東。日本人が多く住んでいた時代は安東と呼ばれていた。鴨緑江を挟んで北朝鮮と接している街だ。
川に沿ってホテルが建ち、そこからは対岸の北朝鮮の新義州特別行政区がよく見える。
鴨緑江に沿って何軒かの北朝鮮レストランがあった。そのなかの松濤園という店では何回か食事をした。
■北朝鮮レストランはどんな店?供されるサービスや料理は?
北朝鮮レストランというのは、その言葉通り、北朝鮮料理を出すレストランだが、北朝鮮という国特有の構造があった。多くが北朝鮮という国が経営するもので、平壌にある店の支店という形態が多かった。北朝鮮は外貨獲得の手段にしていた。
この店に行く客にはふたつの好奇心があった。ひとつはなかなか口にできたい北朝鮮料理。そして北朝鮮の若い女性を間近に見ることができることだった。一時は世界に130店もの北朝鮮レストランがあったという。
僕は丹東の松濤園以外では、カンボジアのシェムリアップとバンコクにあった北朝鮮レストランを知っている。
松濤園以外はどこも似たような構造だった。ステージがあり、そこで北朝鮮の女性が演奏や歌を披露する。テーブルも多く、そう、日本でいったらディナーショーのスタイルで、団体客が多かった。
しかし松濤園は違った。店の規模も小さく、一般的なレストランの雰囲気だった。狭いステージがあり、そこで演奏などはあったが、北朝鮮の女性たちは接客もした。一時は丹東には20軒を超える北朝鮮レストランがあったといわれ、個人客向けの店の需要もあったように思う。それが松濤園だった。
客の大半は北朝鮮を見るためにやってきた中国人の観光客だった。
中国人がまず向かうのは、鴨緑江橋梁と名づけられた橋だった。最初の橋は朝鮮戦争時代、アメリカ軍によって破壊された。そこがプロパガンダ用に残されていた。そして鴨緑江の遊覧船だった。この船は対岸の北朝鮮まで10メートル近くまで行く。そこから北朝鮮の写真を撮るわけだ。
はじめて訪ねたのは2003年である。僕も同じように橋や北朝鮮を眺め、夜に松濤園に行った。
北朝鮮料理は、韓国料理に比べると唐辛子の量がかなり少ない。それでいて、韓国と同じような料理があるから、韓国料理に慣れた舌にはかなり物足りない印象を受ける。僕もそうだった。なんとなくつまらない味に映るのだ。
しかしそれを凌駕するのが北朝鮮の女性たちだった。話では選抜された女性たちということだった。皆、垢抜けていた。ビールを注いでくれる指は、労働をまったく知らない細さだった。身のこなしも優雅で、笑顔もかわいかった。胸には金日成バッチをつけていたが。
その後、僕は何回か、彼女たちの夢をみた。それほどの美人をそろえていた。
昼間、店の前を通ることもあった。店の前で洗濯をしている姿はあったが、彼女たちは街に出ることを禁じられているといわれた。店はかなり厳しい上納金を課せられているのは当然のことで、そんな思いで眺めると鼻白むものはあった。
この北朝鮮レストランが激減している。国連の安保理事会決議での北朝鮮への経済制裁が効力を発揮するなかでコロナ禍になった。多くの店が、コロナ禍が明けてもドアは閉じられたままだという。客も北朝鮮の女性がステージで演奏するスタイルに古さを感じはじめていたともいう。松濤園は店を開いているという話だが。
しかしそんな北朝鮮レストランの境遇とはまったく違う世界があった。ソウルの北朝鮮レストランである。いや、食堂といったほうがいいだろうか。
昼どき、知人と乙支線路1街に近い飲食店街を歩いていた。昼食をどうしようか……といったとき、彼がこういった。
「北朝鮮料理にしませんか。好きってわけじゃないけど、月に1回ぐらい、ものすごく食べたくなる。中毒にかかっているのかも」
といって笑った。
中毒? ソウルの北朝鮮料理店にむかった。