江戸時代の力士は高給取りだったって本当? 武士と比べてどちらのほうが稼いでた?

相撲の歴史

お金の話をする前に、まずは「相撲の歴史」について軽く触れておきましょう。日本の相撲の歴史は、日本書紀や古事記の中で力くらべの神話や伝説が起源とされています。相撲は農作物の収穫を占う祭りの儀式として毎年行われ、のちに宮廷の行事となって300年続くことになります。

戦国時代

その後、戦国時代へと時代が移り変わるにつれて、相撲にかつての力くらべとしての意味合いがよみがえり、武士の訓練の一環として行われるようになりました。あの有名な織田信長も相撲を好んでおり、上覧試合を行って勝ち抜いた者を家臣として迎え入れたという記録も残されています。

このころに、寺院や山門などを建てたり、修復したりする費用を集めるために行われたのが勧進相撲(かんじんずもう)です。簡単に言えば「募金」に近しい行為ですが、このころからお金を稼ぐ行為として行われていたことが分かります。

しかし、社会の風紀を乱すなどの理由から、17世紀中頃になると禁止令が出されるようになります。

江戸時代

江戸時代になると、浪人や力自慢の中から力士を職業とする者が現れ始めました。彼らは、戦国時代から存在していた勧進相撲を全国で行うようになります。

当時は常設の小屋がないため、わざわざ3階建ての仮小屋を境内の中に設営し、そこに大勢の観客を入れて開催していました。こうして、相撲は多くのお金を呼び込む力があるスポーツとなったのです。

このように、現代の相撲の基礎が整えられたのは江戸時代だと考えられます。歴史が進むにつれ、さらにルールの整備やスポーツとしての様式化がなされていき、現代スポーツとしての相撲へ進化しました。

江戸時代の力士の給料

江戸時代に多くの力自慢たちが「力士」として各地で相撲を取り始めてから、力士は当時の人間の中でも高給取りの位置に立つことになります。将軍による上覧試合も行われ、「相撲」という競技は江戸時代の人たちの娯楽の一つとして受け入れられました。

相撲がより浸透して人気になると、大名は人気の力士をお抱えとして迎え入れるようになります。力士の力量や人気にもよりますが、その年収は50両〜80両ほど稼いでいたともいわれています。

江戸時代の貨幣価値は変動があったため一概には断定できませんが、ある時期の1両の価値は、現代では18万円〜22万円程度と考えられています。このことから、江戸時代の力士は1000万~1700万円前後の年収があったと考えられるでしょう。

ちなみに、同じ時期の庶民の年収は約300万円前後だったとされているため、力士は少なくとも庶民の3倍程度稼いでいたことになります。また、武士は能力主義で給料が決まっていましたが、平均年収は500万円程度と考えられており、人気のある力士であれば、武士の倍以上稼げる職業だったことが分かります。

江戸時代の力士は庶民の3倍稼げる職業!

江戸時代の力士は、庶民の3倍以上、武士の倍以上も稼げる可能性のある職業でした。今でも人気のスポーツである相撲は、江戸時代に娯楽として花開き、高給取りの力士を数多く生み出したことが記録にも残っています。

そこには、庶民だけでなく大名や将軍すらも魅了する力があり、その力で江戸時代の力士は大きく稼いでいたのです。

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部
ファイナンシャルプランナー

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