高性能ゆえに〈望ましくないユーザー〉からの需要も多い「ランドクルーザー」…転売回避のためにトヨタがとった「苦肉の策」とは【自動車評論家が解説】

悪路に強く、頑丈なつくりの日本車は、世界中で高い人気を誇ります。なかでも「地球上のどこからでも生きて帰れる」と言われるほどの高い性能をもつ「ランドクルーザー」への需要は多く、メーカーは望ましくないユーザーの手に渡らないよう、対策を講じている、と自動車評論家の鈴木均氏は言います。鈴木氏の著書『自動車の世界史』(中央公論新社)より、詳しく見ていきましょう。

9・11テロの衝撃

冷戦が終結した後、来たる21世紀の国際関係を占う論調には、アメリカを中心に楽観論が支配していた。フランシス・フクヤマは『歴史の終焉』(1992年)を論じ、イデオロギー対立の時代が終わったことをたたえた。ブルース・ラセットは『デモクラティック・ピース』、つまり民主主義国どうしは戦争をしない、と説いた。

これをマクドナルドに置き換え、マクドナルドが開店している国どうしは戦争をしない、つまり経済的に深く結びつき合っている国の間では戦争が起きない、という言説が流行った。たしかに、東西ベルリンの分断を象徴するチェックポイント・チャーリー(検問所C)の目の前にはマクドナルドが店を開いており、ビッグマックとコーラを片手に冷戦遺跡を見学することができる。

これに対してサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』を予見し、世界の宗教地図とほぼ同じ分布図を用い、21世紀は異なる文明圏どうしの対立が激化する、と説いた。激動と混沌の時代を象徴するように、21世紀は衝撃的な事件で幕を開けた。

2001年9月11日、イスラム過激思想に染まった犯人たちがハイジャックした3機の旅客機は、ニューヨークのツインタワーと首都ワシントン郊外の国防総省(ペンタゴン)に突入した。4機目は乗客の反乱によって標的に到達せず、郊外に墜落した。この顛末は、遺族側と制作側で激論のすえ『ユナイテッド93』として映画化されている。

犯行を主導した故ウサマ・ビン・ラーディンはサウジアラビアの富豪一族の出身であり、冷戦期、アフガニスタンに侵攻したソ連軍を追い払おうと、アメリカの諜報機関CIAから支援を受け、ゲリラ戦を展開した。冷戦終結後、彼の怒りの矛先はアメリカに向かった。

93年にニューヨークのツインタワーを狙って地下駐車場を爆破するも、ビルは倒壊をまぬがれた。地上の警備が強化されたことに対し、彼は航空機でビルに突入するという、奇策に出た。

9・11後、日本は11月にテロ対策特措法が施行され、一週間後には海上自衛隊の艦船が洋上補給任務のため、インド洋へ向けて出港した。アフガニスタンに派兵したアメリカをはじめ、NATO諸国の後方支援である。

犯行後、ビン・ラーディンはアフガンとパキスタンの国境付近の山々に潜伏し、パキスタンの秘密(軍事)施設に匿われた。米海軍特殊部隊が無許可・無灯火のステルス・ヘリで夜中に急襲し射殺したのは、同時多発テロから10年目となる11年の5月だった。

ビン・ラーディンは携帯電話もメールも一切使わなかったため、居場所の特定にはかなり時間がかかった。諜報当局が彼の身の回りの世話をしている男性をつきとめたのが突破口になった。

ビン・ラーディン捜索の顛末は『ゼロ・ダーク・サーティ』という映画に描かれており、劇中で連絡係の男性はスズキ・ジムニーを駆っている。悪路に強い日本製SUVは北米ではSamuraiの名称でスズキ・ジムニー・シエラが売られ、三菱Shogun(イギリス仕様のパジェロ)も世界各地で重宝されている。

ジムニーはその後も人気が衰えず、2018年に20年ぶりのモデルチェンジを受け、納車待ち10カ月の人気となった。なお、三菱パジェロは惜しまれつつ21年に生産を終え、岐阜のパジェロ製造は閉業している。

ビン・ラーディンの殺害後も対立と紛争は収まることなく、21年8月、米軍のアフガン撤退を待っていたかのように武装勢力タリバンが国を乗っ取った。大英帝国からの独立102年を祝う記念日の4日前だった。

ロシアのWTO加盟

一見、日本と関係のない遠い話のようだが、日本国内もテロとの戦いに巻き込まれた。国際手配されたアルカイダのメンバーが偽造旅券を使って来日し、新潟に潜伏していたのである。新潟を拠点に中古車を輸出し、アルカイダにテロ資金が送られていたといわれている。アルカイダは日本を標的のひとつに名指しした。

新潟港は中東向けの中古日本車の船積み拠点だったが、同時にロシア向けにも輸出していた。四輪駆動車と、ハイエースをはじめとする業務用ワンボックスが人気だった。しかしロシアが国内生産奨励のため、中古日本車の関税を200%以上に引き上げた。以後、新潟港はロシアから天然ガスを輸入することを主な目的とする港になってしまった。

07年12月、トヨタが日系初となるロシアでの現地生産を開始し、サンクトペテルブルクでカムリを生産した。先立って部品輸入関税が低減され、すでにルノーとフォードが工場を開設していた。しかし08年12月、ロシアは手のひらを返し、自動車関税を引き上げ、国際的に批判を浴びた。このような朝令暮改を国際社会から警戒されつつもロシアは2012年、165番目のWTO加盟国となった。

テロの最前線と日本車

紛争地帯への「不適切な」物流は、ロシアだけの問題ではない。アメリカ政府は2015年、中東の紛争地帯で日本製の四駆、特にトヨタ・ランドクルーザが武装勢力に多く使われていることを問題視し、トヨタに説明を求めた。三菱パジェロ、日産サファリ同様、優れた悪路走破性と頑丈な作りのため、日本車は世界各地で重宝されてきた。トヨタ・ハイエースも含め、海外で需要が高い車種は、常に国内盗難被害ランキングの高位に入ってしまう。

ランドクルーザー70系は84年の登場だが、現行型と並行していまも生産され、海外で販売されている。車のエンジン停止が人命に直結するような極地では、非電子制御ゆえの強さ、ロバストネスが発揮されるのである。昨今のビンテージ・カー人気の一端は、このように再発見される車の魅力とも関係していよう。

映画『キャスト・アウェイ』や『プライベート・ライアン』で好演したトム・ハンクスも、長年ランドクルーザーFJ40の愛用者だった。21年にモデルチェンジした現行型の300系に、EVどころかハイブリッドすらラインアップされない理由は、「地球上のどこからでも生きて帰れるため」といわれている。

ランドクルーザーは民生品のため、テロ組織による購入についてどこまでメーカーが説明責任を負うのか微妙だ。トヨタは2021年8月、ランドクルーザーがモデルチェンジした際に対策を施し、新車購入時に「輸出防止事前チェックシート」への署名を求めた。

車両登録後一年間、輸出・転売をしない、販売店側の判断で注文をキャンセルしうる、そして誓約内容に反した場合は出禁になる可能性などが明記された。転売自体が違法ではないなか、武装勢力のような「望ましくないユーザー」の手に渡らないようにする苦肉の策であり、暗躍する転売ヤーに対する牽制としても新しい手法である。

日本車で最も長く続くモデルであるランドクルーザーは、様々な最前線で戦っている。

[図表]トヨタ・ランドクルーザー70系 出所:『自動車の世界史』(中央公論新社)より抜粋

鈴木 均
合同会社未来モビリT研究 代表

© 株式会社幻冬舎ゴールドオンライン