「隔離の壁が偏見を社会に生成し続けた」 菊池恵楓園入所者の外出実態を研究 歴史資料館の原田寿真学芸員

国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の北側に現存する「隔離の壁」。原田寿真学芸員がまとめた論文では、壁を乗り越えて外出していた実態を入所者が証言している=4月12日、合志市

 国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(合志市)にある歴史資料館の原田寿真学芸員(38)が入所者の園外への外出の実態を研究し、論文にまとめた。外出できる環境であっても、社会との心理的な隔絶が原因で退所できなかった歴史を考察。国立ハンセン病資料館(東京都)が3月に発行した研究紀要に「外に出ていた入所者たち」のタイトルで掲載された。

 恵楓園には高さ2メートル超の「隔離の壁」が残り、隔離政策の物理的な象徴とされる。従来から「高い塀や空堀で囲まれた監獄のような場所」「一生外に出られなかった」と言われてきた。

 これに対し、原田さんは「今まで積極的には語られることのなかった事実にも目を向ける必要がある」と考え、入所者の外出の実態に着目。聞き取りや歴史資料館の所蔵資料を調べた。

 その結果、入所者は「壁を乗り越えて買い物に行っていた」と証言。物理的に無断外出を妨げることはできず、職員が黙認することもあったとの話も聞いた。

 一方、「隔離の壁」は入所者に療養所内しか自分の居場所がないかのような意識を植え付け、外部の人には療養所の中が異質な空間であることを強く意識させたという。原田さんは「療養所の内と外を区別する印象を強め、偏見を社会に生成し続けた」との結論に至った。

 園は1960年代ごろから外出規制を緩和したが、原田さんは外出した入所者の多くが療養所に戻ってきた現実を重く受け止める。その上で「入所者は地位や名誉、仕事などを失い、社会での居場所がなかった」と指摘する。

 たとえ外出が容認されても偏見差別がなくなるわけではなく、入所者らが望んだ社会全体でのハンセン病問題の克服には結び付かなかったと総括。療養所での生活改善が実現しても、隔離政策で奪われた被害との間で板挟みとなり、人生そのものの回復にはつながらなかったとする。

 原田さんは「入所者の人生を丁寧に理解する姿勢がなければ、ハンセン病問題は現代につながる生きた歴史にならない」と語る。(東誉晃)

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