戦争を知る人がいよいよいなくなる…危機感抱く87歳が「語り部」活動を本格スタート 小学校を巡り体験や証言伝える

手作りの竹やりを手に戦時中の暮らしを紹介する政田一雄さん=中種子町の増田小学校

 太平洋戦争時の記憶を後世に残そうと、鹿児島県中種子町野間の元町職員政田一雄さん(87)が、語り部として町内の小学校を回っている。2025年で終戦80年を迎える。「軍務に就いていた世代はほとんど亡くなった。当時の暮らしだけでも語り継ぎ、戦争の現実を知ってもらいたい」と話す。

 伊仙町阿三(あさん)生まれ。母、弟と大阪市に移り住み、戦時中は熊本市に疎開した。忘れられないのが、1945年8月9日に有明海越しに見た光景だ。「青空に大きな雲がもくもくと湧き上がった」。長崎市に原爆が投下された瞬間だった。

 疎開先では九死に一生を得たことも。学校帰りにプロペラ機の音が聞こえた瞬間、米軍機の機銃掃射を受けた。「『バリバリッ』という音とともに近くで土煙が上がった。畑に伏せるしかなかった」と振り返る。

 戦後は中種子町に移住。野間中学校(現中種子中)を卒業後、58歳まで町役場に勤めた。小学校での語り部活動は昨秋に本格化。「いよいよ実際に戦争を知る人たちがいなくなる」との危機感からだった。

 9日は4校目となる増田小で、特攻隊員の証言や自身が体験した食糧難を話した。これまで訪れた学校からは「戦争がなければという言葉に苦しみを感じる」「戦争は大切な人を奪い、心に穴があく」といった感想が寄せられた。政田さんは「子どもたちの言葉が心の糧になる」と語った。

〈別カット〉自身の体験を交え、戦時の暮らしを紹介する政田一雄さん=中種子町の増田小学校

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