「立つことも歩くこともできない」と宣告された二女。進行性の病気で、できなくなることが増えるも・・・「大人な対応」に成長を感じる日々【福山型筋ジストロフィー体験談】

バイスキーに挑戦した9歳のとき。真心さんは終始怖がり、滑り終わった後も「やらなーい」と言っていたそう。

生後3カ月ごろから二女の成長に違和感が。遺伝性の“ふくやまっこ”と診断され、自分を責める日々【福山型先天性筋ジストロフィー体験談】

加藤さくらさん(43歳)、悠太さん(46歳)夫婦の二女、真心(まこ)さんは、生後9カ月のとき、現代医学では治療法がないとされる、福山型先天性筋ジストロフィー(福山型)と診断されました。深い苦しみや悲しみを乗り越え、真心さんの病気を受け入れたさくらさんは、仕事に復帰して“普通の生活”を送ることを決断します。
全3回のインタビューの2回目です。

真心の瞳がキラキラ輝くような生活をしたい。1歳で保育園入園を決める

3歳のとき、りんご病に感染して入院。退院までに約2週間かかりました。

真心さんが福山型先天性筋ジストロフィーと診断された生後9カ月のとき、さくらさんは先生から、「感染症にかかると命にかかわることがあるから集団生活はさせないでください」と言われました。

「福山型の子は高熱を出したあと『横紋筋融解症(おうもんきんゆうかいしょう)』という横紋筋が壊れる症状になることがあり、手足が動かせなくなり、時には呼吸ができなくなることもあるというのです。ものを飲み込む力が低下して誤えんしたり、最悪は死に至ったりすることもあると説明を受けました。だから私は仕事を辞めて、真心の介護を中心にした生活を送ろうと決めていたんです」(さくらさん)

ところが、福山型の子ども(愛称:ふくやまっこ)がいる家族のコミュニティーの人々と出会ったことで、その考えがガラリと変わります。

「保育園や幼稚園に通っているふくやまっこがいるし、共働き家庭もたくさんありました。たしかに家にずっといたら感染症などのリスクは減らせるでしょう。でも、真心と2人で家にこもっている生活を思い浮かべたら、2人とも笑顔が消え、とっても不健全な暮らしになっている姿が見えちゃったんです」(さくらさん)

外に出ていくことを決めるにあたり、「真心たちふくやまっこのキラキラした瞳に勇気をもらった」ともさくらさんは言います。

「福山型の解説の中に『目はさわやかに輝いている』という一文があるんです。そして本当に、ふくやまっこはみんな、瞳がキラキラ輝いていてます。
当時、福山型の寿命は10代と言われていました。真心は人と一緒にいるのが大好きだから、保育園での生活は絶対に楽しいはず。お友だちとともに過ごす時間は、真心の人生を豊かにしてくれる。真心の瞳をもっとキラキラ輝かせてくれるに違いない。夫婦でそう話し合って、1歳で保育園に入れ、私は仕事に復帰することを決意しました。
幸運なことに姉妹一緒に第1希望の保育園に入園でき、真心は健常な子どもたちと一緒に、保育園生活を送ることになりました」(さくらさん)

自由に動き回れる“足”を手に入れたから、友だちと一緒にかけっこもできる!

7歳の真心さん。車椅子は、真心さんにとって、なくてはならない“足”。

さくらさん夫婦の願い通り、真心さんは保育園で毎日、いきいきと過ごしていたようです。

「真心が2歳ごろになると、同じ2歳のお友だちが、どうやったら真心と遊べるか考えてくれて、おもちゃを手元まで運んでくれたり、体を支えてくれたりしているって保育園の先生から聞きました。障害のあるなしは関係なく、みんなで楽しい時間を過ごしている。なんてすてきなんだろうと思いました」(さくらさん)

そして3歳のとき、真心さんは念願の“足”を手に入れました。車椅子で自由に動けるようになったのです。

「小指でも動かせるくらい、すごく軽い車椅子なんですが、真心はなかなか動かすコツをつかめず、前進できずにいました。リハビリセンターの先生が根気よく教えれてくれ、半年近くたったころ、いきなりスイスイ~と動かしたんです。私は思わず『キャーッ!!』。大歓声をあげちゃいました。

“足”を手に入れた真心が最初にしたことは、いたずら。車椅子をあやつってチラシが重ねられていた場所に行き、ワ~ッとまき散らしたんです。行きたいところに行ってやりたいことができる、それが真心にとってどんなにうれしかったか。ばらまかれたチラシを片づけながら、私の心も喜びでいっぱいになっていました。

それまでは、園庭でお友だちがかけっこを始めると、真心は見ているしかできなかったけれど、一緒に走り回るように。いつも満面の笑顔で走っていました」(さくらさん)

小中一貫の特別支援学校の先生や生徒は、真心にとって第二の家族

特別支援学校の入学式。「いろいろな病気・障害がある子どもたちが世の中にいることを知り、一気に世界が広がった気がしました」とさくらさん。

やがて保育園生活に終わりが近づき、小学校をどうするか考えなければいけない時期になりました。

「選択肢は三つありました。ゆとりと同じ小学校、最近できた車椅子にも対応できるというバリアフリーの小学校、そして特別支援学校です。ところが、ゆとりと同じ小学校に通うには親の介助が必要と言われ、バリアフリーの小学校は介助が必要な子は対象外とのこと。残ったのは支援学校のみでした。

支援学校に入れるしかないのか・・・と一瞬落ち込んだのですが、よくよく考えてみたら、6年間の小学校生活を、真心らしく過ごせることが一番大切。たとえ私が介助についたとしても、普通学級で40分間の授業中座りっぱなしでいるのは、真心にとって楽しいことではないはず、と気づいたんです。迷いが消え、支援学校への入学を決めました」(さくらさん)

この選択は大正解だったとさくらさんは言います。

「先生方が、生徒一人一人の個性や症状に合わせて対応してくれるんです。たと えば、真心は太鼓をたたくのが大好きですが、筋力の低下で5年生ごろから手を振り上げて太鼓をたたけなくなりました。すると担任の先生が、手を持ち上げて太鼓をたたけるような装置をDIYで作ってくれて。放課後の時間を使って作ってくれたんだと思います。先生には感謝の気持ちしかありません。支援学校は小中一貫なので、真心にとって先生やお友だちは家族のようなものです。

小学校生活をエンジョイする娘の姿にパパはメロメロ

真心さんが11歳のとき。「私たち夫婦にとって、真心の笑顔は何より大切なものです」とさくらさん。

仕事の都合がつかず、授業参観などの学校イベントに参加しにくい悠太さんのために、さくらさんは機会あるごとに動画を撮って悠太さんに見せていました。

「動画を見るたび夫は『かわいい』を連発していました。『こんなにかわいい子は世の中にほかにいない』って言い続けるんです。真心がはつらつと学校生活を送っているのが、うれしくてしかたがないみたいです」(さくらさん)

1人で座れなくなりアトラクションに乗れない・・・“大人の対応”に成長を感じる

13歳のとき奄美大島へ。電動車椅子で観光地を自由に動き回っていました。

現在、真心さんは14歳。中学3年生です。病気の進行とともに体幹が弱くなり、13歳ごろから、90度の角度の椅子に1人で座ることが難しくなりました。

「日常生活や学校生活は支障なく送れていますが、悩みの種は、真心の大好きなテーマパークのアトラクションに乗れなくなってしまったこと。1人で座れないと万一のときに危険、という理由も理解できるのですが・・・。

13歳の誕生日になんとか乗せてあげたくて、持参したクッションを使って1人で座れる環境を作る、両わきから私たちががっちり支えるなどなど、考えられる限りの提案をしてみました。でもすべてNG。『乗せてあげたい気持ちでいっぱいなのですが』と言ってくださったキャストさんの言葉が、せめてもの救いでした」(さくらさん)

真心さんを大好きなアトラクションに乗せてあげることができず、ガッカリしていたさくらさん。真心さんもさぞや悔しいだろうと思いきや、驚きの行動を・・・。

「『ありがと!』とキャストさんに伝え、ぺこりと会釈。乗れない悔しさより、自分のために対応してくれたことへの、感謝の気持ちを優先させたんです。真心はこんなにも成長していたんだ、と感動しました。真心のその姿を見て、私もキャストさんに『ありがとう』ということができました。

もっとも、その場ではとってもカッコよかった真心ですが、家族だけでになってからは、『のりた~い』とぶちぶち文句を言ってましたけど・・・」(さくらさん)

傷害のあるなしに関係なくすべての人が社会の一員として生きていける国に

3歳の真心さん。歩行のリハビリを頑張って行っているところ。

真心さんを連れてアメリカ旅行をしたこともあるさくらさんは、日本とアメリカでの対応の違いを感じています。

「文化的背景とか安全性への配慮とか、日米で考え方の違いが大きいのだと思いますが、アメリカでは車椅子ユーザーがアトラクションに乗れないことは、ほぼないようです。病気やけがで体を自由に動かせない子も楽しめるように、日本も変わっていってくれるといいなと願っています」(さくらさん)

アメリカでは、障害のある人も普通に働いているのが、すごく印象的だったとも言います。

「知的障害のある方や車椅子の方が、健常者とともに当たり前に働いているのを見て、日本との違いにびっくりしました。障害のある人が普通に働いているから、障害のある子(人)への対応もいたって普通。健常者への対応と変わりません。障害者が社会の一員として尊重されているのを肌で感じました。

一方、日本は残念ながら障害者が働ける場所はすごく限られます。障害の有無にかかわらず、すべての人が社会の一員として生きていける、そんな日本になってほしい。あと1年で義務教育が終わる娘の親として、強くそう願っています」(さくらさん)

ふくやまっことその家族の望み、福山型の治験が進む

与論島に旅行した10歳のとき。真心さんは飛行機の乱気流が大好きなので、揺れがダイレクトに伝わる小型ジェット機での移動に興奮していたそうです。

「治療法がない」といわれてきた福山型ですが、治験が進められています。

「残念ながら真心は年齢的に治験の対象外なのですが、治験はふくやまっこすべての希望になっています。期待を持って見守っていきたいです。

福山型はかつて、平均寿命は12歳といわれていました。でも医療の進歩で、20歳の誕生日を迎えることもさほど珍しくなくなっています。病気があってもなくても、人の寿命はだれにもわからない。大切なのは今を笑顔で過ごせること。私たち家族は、これからも笑顔をたくさん増やすことを考え、今このときを大切にして生きていきます」(さくらさん)

お話・写真提供/加藤さくらさん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部

「心から笑顔でいること」をモットーに、1日1日を大切にしているさくらさんファミリー。さくらさんは、ふくやまっこをはじめとする障害のある子どもと、その家族が笑顔でいるための取り組みもアクティブに行っています。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年4月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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