駆け抜けて軽トラ・餅田コシヒカリは「人としてどうかしていました」相方・小野島徹が育てた芸人としての意識

駆け抜けて軽トラ(左から小野島徹、餅田コシヒカリ) 撮影/三浦龍司

フリーアナウンサー加藤綾子さんそっくりの顔に、タンクトップの裾からハミ出た鏡餅のようなお腹の肉を揺らすーーいちど見たら忘れられないギャップを持つ芸人、餅田コシヒカリさん。相方は、ネタ作成者にもかかわらず、究極の“じゃないほう”な存在感を発揮する小野島徹さん。男女コンビ、駆け抜けて軽トラのふたりに聞く、THE CHANGEとは。【第4回/全5回】

2019年、ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』で披露した「昭和ポルノ」シリーズで、優勝したお笑いコンビ・駆け抜けて軽トラ。2020年1月1日には若手芸人の登竜門とされる『ぐるぐるナインティナイン~おもしろ荘 お笑い第七世代ネクストスター発掘SP~』(日本テレビ系)に、1003組のオーディションを勝ち抜いて出演。

フリーアナウンサー加藤綾子さんそっくりの餅田コシヒカリさんが、Tシャツに下着のみというふくよかボディが強調された格好で登場し、相方の小野島徹さんが「顔はカトパンだけど体はパンパン!」と驚くというネタを披露してインパクトを残した。

その時点で結成2年目だったふたりだが、餅田さんは「小野島さんとコンビを組んだことが、私にとってのTHE CHANGEです」と強調する。

餅田コシヒカリさん(以下、餅田)「そもそも芸人をやりたかったわけではなくて、なんとなく女優になりたいな、みたいな感じだったんです。いまの事務所に“芸人になれば女優でもなんでもできるぞ”と騙されて入って、ちんたらやっていたんです。ダイエット番組に出て、お金をもらって、すぐに太って、またダイエット番組出て……くらいの仕事しかなくて」

相方・小野島徹には「ナメた態度をずっととっていた」

「あのまま続けていたら、一瞬で事務所を辞めていた」と話す餅田さんの前に現れ、事務所の命でコンビを組むことになったのは、当時ピン芸人だった小野島徹さんだった。

餅田「最初のころは“芸人”という実感もなくて、やる気もありませんでした。小野島さんに対してすごくナメた態度をずっととっていたし」

小野島徹さん(以下、小野島)「急に“帰りたい”とか言い出したりね。たとえば、ネタ合わせをする日、“あとでネタの直しをしよう”と言っておいたのに、急に帰って。“え! 直しをしようって言ったよね……!?”みたいな。そのあと戻ってきて、“ちょ、ちょっと……どういうことなの……?”とか言ったりしていましたけどね」

餅田「お説教されて“なんなの? どういうこと?”という感じで。言われる理由がわからなくて」

小野島「帰る理由を聞いても何を言っているのかよくわからないんですよ。そのあげく“私の友達全員、小野島さんのこと嫌いですから!”という威嚇をしてくる。それを言うと僕が怯むと思ったみたいで」

餅田「私なりの攻撃をしたんですよ」

小野島「ぜんぜん効かないからね」

「うちなら女優ができるよ」

餅田さんは高校卒業後に俳優コースのある専門学校に入学、劇団四季を志すも、講師から「太っている人は劇団四季には入れない」と言われたことで進路を変更。卒業後に松竹芸能タレントスクールに入学した。

一方で小野島さんは根っからお笑い芸人志望。大学2年生のときに松竹芸能にスカウトされ、学生ながら芸人としてプロと肩を並べて舞台に立っていた。といったように、バックボーンがまったく異なるふたりだからこそ、そう簡単には噛み合わなかった。

小野島「“太っている人は入れない”と言われて、痩せる気はなかったんだ」

餅田「そう。“あ、入れないんだ”と思って諦めました。それで松竹の人から“うちなら女優ができるよ”と言われて入ったのが松竹のスクールで、お笑い養成所だったんです」

ーーそれは餅田さんの素質を見抜いていたということでは。

餅田「いや、そういうことでもなかったんです。とにかく誰かしら入れたかったんだと思います」

ーー最初のコンビはその養成所時代に組んだんですよね。

餅田「そうですね。養成所時代に組んで、そのまま続けていました。当時は映画出演とかの仕事がちらほらあって、だからお笑いに本気になれなかったし、そもそもお笑いが好きじゃなかったんです。相方がネタを書いてくれていましたが、それに対して熱意もなくて。ほんとうになあなあでやっていました。書かれていることをやって、ハイ終わり、みたいな。当時の相方にちょっとかわいそうなことをしちゃったなあ、と今は思いますけど、そのときは“この人、おもしろいネタ書いてこないなあ”くらいの感じで思ってて。すごくイヤなやつだったと思います」

「いろいろ人としてどうかしていました」

その後、2017年5月末に当時のコンビを解散、同年に小野島さんとのコンビ・駆け抜けて軽トラを組むことになり、小野島さんが餅田さんのやる気のなさに手を焼いていたのは前述の通りだ。

小野島「いろいろ人としてどうかしていました。LINEのやりとりも、“小野島さん”、“ヤバい”だけ送ってくるんです。要件を言ってくれないと、なにがどうヤバいのか言ってくれないと話が始まらないのに、毎回そこから始まる。"要件を言ってくれ”と何度も言いました」

餅田「そういうことも含めて、小野島さんと出会っていなかったらそのまま単なるヤバい人間だっただろうし、お笑いの楽しさも知らなかった。小野島さんが“おまえのおかしいところがおもしろい”とずっと言ってくれていて、“芸人はそういうところが武器になる”と教えてくれて。いまでもあまり理解できていませんが、ずっと教えてくれたから、それがあったから今まで続けて来られたんです」

小野島さんの"育て”の甲斐があってか、芸人としての意識が徐々に芽生え始めた餅田さん。一方で小野島さんも、餅田さんとのコンビ結成が自身に変化をもたらしていた。

駆け抜けて軽トラ・小野島徹 撮影/三浦龍司

小野島「それまで僕は、“劇場だけで評価されている芸人”で、外に出たら誰にも相手にされていない、という感じでしたから。自分が楽しければいい、自分が納得できるものさえ出せればいい、と思っていました。でも餅田さんと組むことになり、まんべんなく人に伝わるようなネタを意識して作りはじめるようになって、加藤綾子さんのものまねネタが生まれて、評価されて、“こういうことか!”とだんだんわかってきたんです。仕事って、こういうふうにするんだ、という感覚が掴めた感じです」

この人と出会っていなかったらーー。ふたりが口を揃えて言うなんて、奇跡的なコンビと言っても過言ではない。

駆け抜けて軽トラ(かけぬけてけいとら)
小野島徹(おのじま・とおる)。1987年9月16日生まれ、埼玉県出身。
餅田コシヒカリ(もちだ・こしひかり)。1994年4月18日、宮城県出身。
2017年にコンビを結成。餅田さんによる、フリーアナウンサー加藤綾子さんにそっくりな顔と、似ても似つかないボディのギャップで一躍人気に。2019年12月14日放送『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)内の『博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~』で優勝。以降、同番組の常連。

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