自宅被災、妻は病死 天草1人移住、再出発

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特別養護老人ホームで開いたカラオケ教室で、お年寄りに発声法を指導する福永さん=天草市

 「これからは人助けをしながら、君の分まで生きるよ」-。熊本地震で熊本市の自宅を失い、直後に最愛の妻とも死別した福永征雄さん(77)は、天草市倉岳町に1人で移住し、第2の人生を始めた。最後まで自分を気遣ってくれた妻照子さん(77)の遺影に毎日誓いながら、カラオケ指導などのボランティアを続けている。

 「背筋を真っすぐ、下腹に手を当てて、はい、あー」。地震から2カ月後の6月14日、福永さんの姿は倉岳町の特別養護老人ホームにあった。

 かつて陸上自衛隊西部方面隊(熊本市)の音楽隊員だった福永さん。音楽の知識を生かし、施設内で「カラオケ教室」を開かせてもらった。発声の指導を受けたお年寄りたちは「楽しかった」と顔をほころばせる。

 照子さんと知り合ったのは、長崎県大村市で自衛官をしていた22歳の時。「行きつけの食堂で働いていた妻の方から声を掛けてきたんですよ」。すぐに意気投合し、結婚した。

 子どもに恵まれなかった分、転勤で東京、北海道、熊本と日本各地を2人で回りながら夫婦の絆を深めた。

 西部方面隊に所属していた1976年、転機が訪れた。北海道時代に照子さんが身に付けた裁縫の技術を生かし、2人で「有限会社福永縫製」を立ち上げた。自衛官は辞めた。

 商売も軌道に乗り、順風満帆だった夫婦の暮らし。だが4年前、照子さんを病魔が襲う。腎臓がん。「妻に本当のことは言えなかった」と福永さん。

 少しずつ衰える照子さんの食欲、体力。「妻は自分の病気を分かっていたと思う。でもそれまで通り普通に接してくれました」

 病状は、昨年秋ごろから急激に悪化した。そして今年4月16日の本震。福永さんは自宅、照子さんは熊本市内のホスピスにいた。「妻はほとんど意識がなく、たぶん地震のことはわからなかったと思う。幸いだね…」

 それから9日後の25日夜、照子さんは福永さんに見守られ静かに息を引き取った。

 妻の死後、住めなくなった自宅の代わりに倉岳町の空き家を紹介された。「地震を思い出したくないし、趣味の釣りも楽しめる」と移住を決めた。

 福永さんは時折、病床の妻の言葉を思い出す。「ごめんね、先に逝くことになって…。これまでありがとう」

 天草が永住の地になるか、今は分からない。健康状態にも不安がある。でも「しばらくここで頑張って、地元の人たちの役に立ちたい。それが妻が望んだことだと思うから」。(飯村直亮)

トピック平成28年熊本地震

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