どうなる横浜・開港時の護岸 新商業施設開発地

 神奈川県横浜市中区新山下の国家公務員宿舎跡地に残された、開港期の海岸線を示す石積み護岸の行方が注目されている。新たな商業施設の計画敷地に含まれたからだ。計画の全容はまだ明らかではないが、市教育委員会は「貴重な土木遺構であり、できる限り保存をお願いしている」としている。

 護岸がある場所は、みなとみらい線元町・中華街駅近く。隣接する量販店「MEGAドン・キホーテ山下公園店」との境界に当たる。宿舎跡地を取得したドンキホーテホールディングス(東京都)は同店を取り壊した上で一体開発し、2018年をめどに新施設を開業する予定だ。護岸は市の文化財には指定されていないが、その扱いについて同社広報室は「横浜市など関係する行政機関との事前協議を踏まえて、当社としても善処している」と話す。

 横浜都市発展記念館の青木祐介主任調査研究員によると、1861(文久元)年に英国が山手の北端にあたる角地を海軍物置所の用地として取得した際に、護岸が整備されたとみられる。開港直後に英仏両国は自国の居留民保護のため山手に軍隊を駐屯させたことが背景にあるという。

 護岸は大正時代に埋め立てられて姿を消したが、1999年に閉鎖された老舗ホテル「バンドホテル」の解体工事中に発見された。跡地に立つ山下公園店そばには、「旧イギリス海軍物置所護岸」の碑がある。

 青木主任調査研究員は「護岸そのものが開港当時の海岸線の位置を示すものとして極めて貴重。また、幕末・明治初期の土木遺構としても横浜港の『象の鼻』と並んで最古級の存在だ」と指摘している。

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