CS崖っぷちから切り開け! 「ベイスターズにはヤツがいる2016」vol.3宮崎敏郎

 あの日のことはおそらく一生忘れることはできない。だが、その瞬間の記憶は抜け落ちている。

 何故、投手がセカンドに送球すると決めつけてしまったのか。今でもわからない。覚えているのは、ファールゾーンをスローモーションで転がって行くボールの軌跡と、観客席からの大きなため息。

 「ああ……やっちまった」 血の気が引いていく中で、宮崎敏郎はそんなことを考えていた。

 2014年4月26日、9回。送りバントを処理した山口俊が、一塁ベースカバーに入ったセカンドの宮崎に送球するも、ボールから目を切った宮崎は、山口の送球を背中で見送った。

 試合後、当時の中畑清監督は「野球の世界にないボーンヘッド」と断罪し、宮崎の即日2軍送りを決定。打撃を期待されて1軍に昇格しながらわずか2日での降格。その後、宮崎は1年間2軍に幽閉されることになる。

 「あの時はだいぶ落ち込みましたね。自分でもあのプレーはあり得ないミスだとわかっていますから、こんなミスをしているようじゃプロではやっていけないだろって。2軍に落ちてからもしばらくは試合をしていても『……ああ、やっちゃったな』という思いがふと頭を過ぎるんです。そういうものを感じながら毎日試合に行っていたような気がします」 いくら後悔しても時間を戻すことはできなかった。皮肉なことに2軍に落ちた翌日、平塚での2軍戦で4打数4安打を決めたように、2軍戦や打撃練習を見ていると、宮崎の打撃はレベルが違う選手のように思えた。フルスイングから生まれる強烈な打球は地を這うかのように野手の間を抜け、時にはライナーが前進してきた外野手の頭を超えるような、えげつなさを見せていた。その打球、プーさんなんてかわいいモノじゃない。野性の如き、ビースト。

 だが、2軍でいくら調子が良くとも1軍からお呼びは一向に掛からない。時間が進んで行くたびに、もう二度と1軍には呼ばれないのだろうか。そんな悪い思いがまとわりついてくる。

 「なかなか1軍に上がれなくって、厳しい時間でした。でも、落ち込んだ姿は周りに見せたくなかった。空気を悪くすることはしたくなかったし、ここで腐ったら野球人としても人間としても終わりだと思っていましたから。元々は僕が悪いんです。僕が僕のことで腐るって、それは違いますよ。どんな場面でも、一生懸命プレーして、それでダメだったら……しょうがない。腐らずにやることをやれば、きっと誰かが見ていてくれる。そう思うしかなかったですね」 宮崎に1軍行きの報がもたらされたのは、翌2015年の交流戦だった。チームは12連敗を喫する泥沼の連敗の中、6月9日、仙台での楽天戦、同点の9回に代打に登場した宮崎の姿は、素人目に見ても硬くなっているのがわかった。

 1年ぶりの1軍戦。しかもあのミスの後、初の1軍戦である。結果を残さなければ……その思いが痛いほど伝わってきた。マウンド上には抑えのエース松井祐樹。宮崎のバットはそのスライダーに翻弄され、虚しく空を斬った。

 「1軍に呼んでもらって、結果が欲しい結果が欲しいって焦っていましたし、あの打席は自分で自分を追い込んでいたと思います。これで、結果を出せずにまた2軍に落ちたらもう1軍に上がれないんじゃないか。またミスをしたら……という不安要素がバーッて頭を過って、必死にやっていたんですけど……」 2日後の楽天戦。同じく9回、相手投手は松井祐樹で登場した宮崎はさらに追い詰められているように見えた。同じように低めのスライダーを強振して2ストライク。楽天バッテリーは勝負球も同じ球を選択。「絶対にバットに当てる」必死になって食らいつくと、宮崎の執念がバットの先っぽにボールをかすらせる。三塁前へのボテボテの当たりを見て、必死に走り出した宮崎は、一塁に自然と頭から飛び込みセーフのコールを聞く。

 「相手が松井どうこうじゃない。どのピッチャーがきても同じだったと思います。『俺にはこの一打席しかない』そう思って打席に立って、あとはもう必死でした」 内容は悪くともギリギリのところで最低限の結果を残した宮崎は、この後、一度は2軍に落ちるも7月8日の広島戦で1軍復帰。しかも7番セカンドでスタメン出場の機会が巡ってくる。しかし、一打席目はまたしても空振り三振。またか……。宮崎は空を見上げた。

 「スタメンというこれ以上ないチャンスをもらった一打席目、三振してしまった。でも、これで吹っ切れたというか、もうこれ以上失うものもないというか、『どうにかなるやろ』って開き直ることができた。結構投げやりだったかもしれないですけどね(笑)。でもそこで右中間に一本出た。これでスッと…こう抜けたような気がしたんです。そこからですね」 広島戦で息を吹き返した宮崎は7月の月間打率.382と結果を残し、8月には石川雄洋が故障で離脱したこともありセカンドのレギュラーにほぼ定着。58試合に出場し、打率.289と結果を残すことができた。しかしその一方で、期待されていた本塁打は9月にバーネットから打った1本だけに終わった。

 「バッティングの方では期待されている長打がなかなか出なかったですし、満足はしていませんけど、いろんな投手を見られたことが収獲でした。それと守備の面ではあのエラー以来、暫くの間は恐怖心がやっぱりありましたね。本当に僕でいいのかな……っていう思いです。でもここで逃げてたらずっと出られないなって。恐怖心を克服するのは……どうしてたんだろう。数を、ノックを数多く受けていたような気がします。でも、セカンドもサードもファーストもどこも同じ。打球方向、質、動き方、ポジショニング、簡単なポジションはありません。ただ、どこでも行けと言われれば行けるだけの準備だけはしっかりしてきたつもりです」 2016年もキャンプ前半に右足のケガで出遅れ、4月こそチーム状態と同じく調子が上がらなかったものの、借金11から巻き返した5月、6月は打率3割を超える活躍でクリーンナップにも名前を連ね、昨年は1本だった本塁打が、初めて二桁の11本を記録。宮崎の代名詞ともいえる右方向へのエゲツない長打は相手投手への脅威となった。

 「僕、右方向の方が打球が伸びるんです。練習でも、右方向への打球の方が上がる確率が高いというか。昔からあんまり意識したことはなかったんですけど、今年のシーズン中に下園さんに『右方向が打球も伸びるし、結果も出ているならそのままでいけよ』ってアドバイスを貰って、そこからですね。逆方向は率も残せるし、芯に当たって上がってくれれば、野手の間を抜いてくれます。ただ、僕フェンス直撃が多いんですよ。あれがもう少し角度がつくようになれば……。願望とすれば20本、30本と打てるようになれればいいなとは思いますね」 シーズンが始まる前にはレギュラーを狙う候補の一人だった宮崎が、途中からはDeNAベイスターズになくてはならないプレイヤーにまで成長を見せた。特に後半戦に入ってからは8月25日の阪神戦でロペスが3番に移ると、ラミレス監督はポイントとされてきた筒香の後の5番打者に宮崎を起用する。そのままシーズンの最後まで務めあげ、キャリアハイの101試合、.291、11本塁打の成績を収める。

 「監督からは『ランナーを帰すのが仕事』『ホームランボールをホームランスイングしなさい』と毎日のように言われるんで、そこはやっぱり長打にこだわらなければいけないと思うし、打撃がちっちゃくならないよう強く振りきることを意識しています。だけど、僕自身は5番といえど“つなぐ”イメージが強いんです。去年までは代打での1打席勝負だったので、わかりやすく結果を残さなければいけなかったんですが、今は毎試合4打席立たせてもらえています。自分の結果よりもチームが勝つためには自分がこの打席で何をするべきかっていうことをより強く考えるようになりましたね」 9月19日。DeNAベイスターズは球団史上初のクライマックスシリーズ出場を勝ち取った。ファーストステージでの巨人との死闘、そしてファイナルステージでの王者カープとの戦い。ロペス、筒香の大砲が注目される一方、5番・宮崎の存在感が日ごとに大きくなっているように思える。

 「なにぶん初めての経験ですが、CSや日本シリーズのような独特の緊張感の中で野球がやれたら、ワクワクするんだろうなって楽しみにしています。多分、緊張することはないと思いますよ。『自分のスイングができればどうにかなるだろ』って開き直りもありますし。変な話ですけど、1年前のあの時の打席に比べれば……っていうね。そういう経験もしてきましたから(笑)」 崖っぷちに追い込まれたDeNAベイスターズのクライマックスシリーズ。その突破口は地獄から這い上がってきた男、宮崎敏郎のバットが切り開く。(村瀬秀信)

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