「君住む街へ」 小田和正(横浜編)

 横浜出身の歌手・小田和正(69)が10月18、19日に横浜アリーナ(横浜市港北区)で凱旋(がいせん)公演を開いた。母校・聖光学院(中区)の恩師も見守る中、地元を思う気持ちを強く感じるステージだった。

 「このツアーは、48本ありまして。45本目にして、ようやく横浜に戻ってまいりました」 “聖地”に戻った小田に、「お帰りなさい」と声が飛ぶ。スッと息を吸い、歌い始めた第一声は、港を行き交う船の帆を膨らませる柔らかな風のよう。

 開演前。地元ならではの“おもてなし”として、巨大スクリーンに、氷川丸(1日目)、横浜赤レンガ倉庫(2日目)のイラストを映し出した。潮の香りが鼻をくすぐるかのような演出に、鼓動が高鳴る。

 「横浜を舞台に作った」と紹介した、オフコース時代の名曲「秋の気配」を歌う際は歌詞に登場する、港の見える丘公園を大スクリーンに投影。近くの教会やホテルの写真が、アルバムをめくるように展開された。

 生まれ育った街。

 MCでは、伊勢佐木町にあったパーラーに出入りしていたことなど、やんちゃだった中・高生時代の思い出を明かした。また、「21世紀に入ってから、神奈川新聞か朝日新聞か忘れちゃったけれど、MM21(みなとみらい21)について書いてくださいと言われて。(当時は)ネーミングが気に入らないと思っていたから存分に悪口を書いたんですけど、だんだん好きになって…。いまさら言い訳を書かせてくれとは言えないけれど、いまも横浜に帰ってくると、その記事のことを思い出して、何となく落ち着かない」と告白、笑いを誘う一幕もあった。

 景色は変わっても、街を愛する思いは変わらない。「故郷って本当に大事だなと思います」。静かにピアノを奏でた「my home town」では、コンサートの前半と後半の間に流す「ご当地紀行」(ライブを行う土地の名所などを訪れる映像作品)で足を向けた野毛山公園や横浜ベイブリッジなどを背に歌った。小田に送られる視線も、小田が観客に戻す視線も熱に満ちていた。曲の終盤には中学2年生の時、キャプテンを務めるほど打ち込んだ野球のグラウンドやMM21地区の映像も流れた。同曲は京急・金沢文庫駅のホームでご当地メロディーとして愛され、いまや街の一部になっている。

 約3時間のライブでは、客席の間に広がる花道を何度もダッシュ。「体力の限界を考えずに走り回ってしまいました。もうヘトヘト」と肩をすくめたが、曲が流れると、体を反らせ全力で歌った。踏み出す一歩が、心を揺さぶる。

 「あと1、2年は歌おうかなと思います。またみんなが聴きたいと思える曲を、何とか頑張って。じゃあ、みんな元気でね」。汗でぬれたその背中に惜しみない拍手が送られた。

 終演後、ツアータイトルの「君住む街へ」と記されたゲートで記念撮影をしていた川崎市の40代夫婦は「歌う姿に勇気づけられた」と口をそろえた。札幌市から訪れた女性グループは「『また会おうぜ!』と言ってくれた。いつまでも待っています」と目に涙をためていた。

 東日本大震災で被災した宮城県栗原市の50代の女性は小田の曲にまつわる逸話を語った。電気や水が止まり、ガソリンもなくなった震災直後、点灯しない信号で足が止まってしまい、張り詰めていた糸が切れ、涙があふれた。「その時、頭の中で小田さんが『君住む街へ』を歌う声が聞こえたんです。(地震は)一生に一度、あるかないかの出来事。亡くなった人も大勢いて、つらい思い出がある曲でしたが、小田さんが愛する街でこの曲を聴くことができてうれしい。いつまでも元気で歌い続けてほしい」と願った。

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