【特集】リヤカーで五大陸を踏破

7年半6万キロの旅で新しい自分

画像ペルーのワスカラン国立公園を歩く吉田さん=9月7日(本人提供)画像ボリビアのウユニ塩湖でテントを張る吉田さん=4月4日(本人提供)画像吉田正仁さん

 バスや電車に乗る旅では通過してしまう町で、人に出会いたい―。鳥取市の吉田正仁さん(35)は10月、リュックサックに入りきらない荷物をリヤカーに載せて運ぶスタイルで、五大陸全てを1人で歩ききった。7年半かけて歩いた距離は6万3300キロ。長旅で何を得たか尋ねると「出発前は諦めがちな性格だったけど、困難から逃げない新しい自分を手に入れた」と答えた。

 ▽自然相手

 五大陸踏破を締めくくるゴール地点は、南米エクアドルの首都キト近郊の赤道記念碑。昨年10月、アルゼンチン南端のウスアイアを出発し、太平洋沿いを1万1千キロ北上した。最難関は標高約5千メートルのアンデス山脈越え。起伏が多いだけでなく、砂の道に車輪が埋まって苦しんだ。早朝の気温は氷点下15度まで下がり、食料は凍り付いた。「心が折れそうになった」と振り返る。

 自然を相手にする過酷な旅だが、忘れられない絶景と出会った。ボリビアのウユニ塩湖は、見渡す限り真っ白でまるで雪原のようだった。塩湖を3日間かけて歩いた。テントを張って眺めた夜明けの塩湖は、太陽の淡い光で照らされ、日中とは違う美しさだった。

 ▽綿密な計画

 語学は堪能ではない。「言葉は『こんにちは』と『ありがとう』だけでなんとかなる」と楽観的だが、歩行計画は綿密だ。パタゴニア地方の平原パンパは、水や食料が手に入らない無人区間が300キロ続く。まず道路状況をインターネットなどで調べる。舗装された道は1日当たり50キロ歩けるが、舗装されていないと20キロも進めず、食料が足りなくなるからだ。7日間で歩くと計算し、14リットルの水を積む。食事は調理に水を使わないサンドイッチにして節約した。

 ▽自分に嫌気

 吉田さんは、出発前の自身を「根性なし」と評する。子どものころ、親にピアノを習わせてもらったがすぐ行かなくなる。中学生、高校生のころは、マラソン大会でスタート直後から手を抜き、最下位近くをのんびりと走る。そうした性格に嫌気がさし、旅を通して自分を変えたかった。派遣の仕事でためた400万円を資金にした。

 2009年1月、中国・上海の人民広場から西に向かって歩き始めた。中央アジアを抜けて、ユーラシア大陸西端のポルトガル・ロカ岬に到着した。次は北米大陸横断へ。米東部のフィラデルフィアに飛行機で渡り、カナダ西部のバンクーバーまで歩いた。

 オーストラリア大陸は南東部のメルボルンから、砂漠地帯を抜けて北部ダーウィンに。東南アジアはバリ島などを巡り、13年6月に上海人民広場に戻った。4年半が過ぎていた。広場には、徒歩の旅に反対していた母淑子さんや親戚が、横断幕を掲げて待っていた。

 一時帰国し14年9月、4大陸目となるアフリカ縦断へ。エジプト北部のアレクサンドリアを歩き始めた。ザンビアでは野生の象に追いかけられて逃げた際に転倒、南アフリカでは強盗にパスポートを盗まれた。15年7月、南アフリカ南端の喜望峰に着いた。

 ▽足跡

 私が吉田さんの取材を始めたのは08年12月。鳥取支局で、記者2年目だった。年齢が近いこともあって取材は盛り上がり、関西空港に向けて出発する際は深夜見送った。

 現在、海外旅行は短期間で効率よく世界遺産や憧れの町を巡るスタイルが好まれる傾向にある。3泊4日程度の「弾丸旅行」もめずらしくない。一方、吉田さんは世界遺産巡りにこだわることなく、1日約50キロ黙々と歩く。旅の途中でアルバイトをして資金を稼いだこともあったという。

 本人は「時間もかかり、多くの人にとっては狂ったような計画かもしれないが、全ての大陸に足跡を残したいと考えることは人間の心情としておかしくない」と話す。多様な生き方を体現する吉田さんの旅を今後も報じていきたい。(共同通信=科学部/原子力報道室・広江滋規)

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