中世史料集「安得虎子」原本を確認

潮来出身考証学者・宮本茶村著作の元本

画像「安得虎子」などとともに確認された宮本茶村の肖像画(一部)

江戸時代後期の考証学者、漢学者で水戸藩領だった行方郡潮来(現潮来市)出身の宮本茶村(みやもとちゃそん)(1793〜1862年)が著した中世史料集「安得虎子(あんとくこし)」の原本が確認された。同著はこれまで、東京大学史料編纂(へんさん)所に写本6冊しか伝わっておらず、研究者の間では“幻の原本”の行方が注目されていた。茶村の子孫が水戸市緑町の県立歴史館に、181点の膨大な伝来史料を寄託。その中に「安得虎子」原本13冊もあった。

「安得虎子」を含む史料の寄託者は東海村の尾崎嗣朗さん。尾崎家は茶村の玄孫の嫁ぎ先であり、同館の寺崎理香首席研究員は「史料は嫁入り道具の一つとして持たされたものではないか」と推察しながら「所在不明だった『安得虎子』を含め、これだけ多くの史料が見つかったことは大変な驚き」と話す。

確認された「安得虎子」原本は、写本で確認されていた1、3、5、6、10、11巻と新出の2、4、7、12〜15巻。8、9巻はなかった。それぞれ縦26・5センチ、横18センチの和本で1冊約150ページ。目次がなく全ての巻数は不明だが、15巻目は他巻に比べてページ数が極端に少ないため最終巻の可能性が高い。茶村の自筆と見られ、細かな文字がびっしりと詰め込まれた史料の写しとなっている。

「安得虎子」は、茶村が中世茨城の歴史をまとめた「常陸誌料」など晩年の著作の元本で、著作のためにさまざまな調査史料を写した“ネタ帳”のようなもの。新たに確認された「安得虎子」原本の中には、今川義元の判物の写しなど、新出史料の可能性のある内容もある。また、鹿島神宮の社家の吉川家に伝わる文書なども含まれていた。

寺崎研究員は「『安得虎子』は中世研究者の間ではテキストとして使われている史料で、全体的な概要が明らかとなったことは意義深い。中世史研究前進へのきっかけになる。また、茶村は漢学者としての史料は多かったが、歴史家としての研究がまだまだ十分でなかった。それが進んでいくきっかけにもなってほしい」と語る。

新史料には「安得虎子」のほか、これまで確認されていたものとは別の茶村の肖像画や、水戸藩士で桜田門外の変の首謀者の一人とされる金子孫二郎から宮本千蔵(茶村の息子)宛ての書状、「常陸誌料」の自筆本、鹿嶋周辺の歴史をまとめた「鹿島長暦」の原本などもあった。

「安得虎子」原本などの新史料は、同館で来春、デジタル写真帳で公開される予定となっている。  (三次豪)

★宮本茶村

潮来村(現潮来市)の庄家の生まれ。兄の篁村(こうそん)とともに江戸の山本北山(ほくざん)に学んで私塾「恥不若(ちふじゃく)」を開き、水戸藩延方藩校でも子弟の教育に尽力した。茨城新聞社初代社長で自由民権運動家の関戸覚蔵も門弟。水戸藩主徳川斉昭の天保の改革に力を尽くして郷士となり、天保の大飢饉(ききん)には義倉の蓄えを開放し、私財を投じて村民救済に努めた。幕府により蟄居(ちっきょ)謹慎を命じられた斉昭の雪冤(せつえん)運動に参加し、水戸藩赤沼に投獄される。獄を出た後は著述に専念。会沢正志斎や藤田東湖、立原杏所、渡辺崋山、色川三中らと交友し、吉田松陰の来訪も受けたとされている。

画像新たに確認された宮本茶村「安得虎子」の原本=水戸市緑町

あなたにおすすめ