【特集】ミスピーチは原発を目指した(2) 福島産の桃吐かれ

「巨大な工事現場のよう」と構内を見つめる中島穂高君
構内に約1千基ある汚染水のタンク群
津波襲来の痕跡が生々しく残る海側の建屋付近を見る猪狩エリカ・夕貴さん
原子炉建屋付近では全面マスクに防護服の完全装備で作業している

 2016年12月。1Fの見学用バスに南相馬市出身の早稲田大1年中島穂高君(18)と、ブラジルから福島大に留学している日系4世の猪狩エリカ・夕貴さん(23)が乗り込んだ。鉄骨がむき出しになった1号機、続いて2~4号機の建屋を車窓から見上げる。高さ100メートルを超える巨大クレーンや、放射性物質を含む蒸気を排出するベントが行われた排気筒を見た2人は「想像より大きい」と声をそろえた。

 ▽苦しみの根源

 震災当時中学1年だった中島君は原発事故後、祖父母と両親、弟の6人で東京の親戚宅へ避難。その後は福島県南部の南会津に近い西郷村に転校した。高校は祖父母と南相馬で暮らしながら原町高へ。生徒会で南相馬を元気にする活動に取り組んだ。ふるさとと人々に活気を取り戻そうと、一生懸命考える日々だ。

 猪狩さんは祖父が1Fに近い富岡町の生まれ。16年4月から福島大に留学し、会計学を学んでいる。2人とも「福島が苦しめられている根源の場所を、自分の目で見て考えたい」と見学を志願した。

 バスは津波襲来と水素爆発の爪痕が生々しく残る1~4号機の原子炉建屋や周辺を通る。構内に所狭しと並ぶ約千基の巨大な汚染水タンクも目の前に見える。建屋に近づくと空間放射線量がはね上がり、地上の作業員は全面マスクに防護服の完全防備スタイル。通り過ぎるだけのバスの中は普段着でいられるが、そこで日々作業することの厳しさを実感する。

 ▽見えない「本丸」

 1~3号機内の溶け落ちた核燃料には危険で人が近づけない。詳しい状況は分からず、取り出す方策も決まっていないと東電の担当者から説明を受ける。廃炉の「本丸」はまだ全く見えていないことを理解する。

 見学を終えて中島君は「大勢が働く大きな工事現場のようで、復旧が少しずつ進んでいると実感しました。防護服なしで普通に歩いている作業員の人がいて、びっくり。自分で見てみないと分からないですね。1Fを見ないことには南相馬のことを語れないと思ってましたから。でも一歩外へ出ると、人が全くいない町並みに住宅や店が震災当時のままあって、時間が5年9カ月前から止まっている。ニュースやネットでは分からないこの状況を、大学の友人たちに伝えたい。地元の同世代の人たちも、ぜひ見に来てほしいと思います」と話した。

 ▽さみしい町見て悲しく

 猪狩さんは「原発で働いている人を見ることができてすごくよかった。放射線量が高い場所もあれば、全部がそうじゃなくて、普通の姿で働けるところもあるんだと分かりました。怖いというイメージはなかったです。海に近いところで大きなタンクがねじれていて、津波の強さにびっくりしました。それと周辺の町がすごくさみしくて、悲しい気持ちになりました。日本は原発をやめて、ほかの発電に切り替えた方がいいと思います」。17年2月末で留学を終えて帰国し、サンパウロの福島県人会で報告会を開く予定だ。

 図らずも2人は、1Fの中だけでなく外のことも語った。1Fに出入りすると周辺の帰還困難区域を必ず通る。人影のない町並み、地震で壊れたまま朽ち果てた住宅や店舗、バリケードで封鎖された道路を目にする。1F構内より空間線量が高い皮肉な状況も知る。今なお8万3千人が福島県内外で避難生活を送っているのだ。(共同通信=原子力報道室・高橋宏一郎)

© 一般社団法人共同通信社