【特集】ミスピーチは原発を目指した(3) 福島産の桃吐かれ

真剣なまなざしで1号機の原子炉建屋を見る中島君と猪狩さん
第1原発のすぐそばで次女汐凪さんを捜し続けている木村紀夫さん(フォトジャーナリスト岩波友紀氏撮影)

 近隣の海辺では津波で多くの命が奪われた。原発事故の避難指示で、まともな救助捜索はされなかった無念の地域。がれきの山がまだいくつもある。1Fから南に3キロの沿岸では、大熊町で唯一行方不明のままになっている木村汐凪(ゆうな)さん=当時(7)=のあごや首の骨が2016年12月になって見つかった。父紀夫さん(51)が避難先の長野県白馬村から通い、仲間たちが手伝って骨のひとかけらでも見つけてあげたいと執念で続けてきた捜索の結果だ。紀夫さんは「まだ一部しか見つかっていないから、これからも捜索は続ける」と話す。1Fのすぐそばで壮絶な現実が進行していることを、私たちは忘れてはならない。

 ▽ダブル被災の原点

 放射能被害を嘆き、将来を悲観した自殺で何人が亡くなったことだろうか。福島県の震災直接死は主に津波で1600人、ほかに避難中に体調を崩した関連死が2100人に上る。多くが原発避難の方々だ。1Fでは水没した4号機タービン建屋の地下で若い東電社員2人が亡くなった。「原発事故で死んだ人は1人もいない」と発言した電力会社の社員がいたが、これだけの命が1Fと周辺、あるいは事故の影響で失われているのだ。

 1Fとその周辺地域は、津波と原発、福島が受けたダブル被災の原点だと私は思っている。

 ここへ来て、見て、聞いて、考える。多くの作業員が働く現場を見つめ、廃炉への長い道のりを実感し、あまたの死と、自分の家に戻れない避難者の辛苦に思いをはせる。帰り道は誰もが「震災後を生かされている自分は何をするべきか」と自問する。人として絶対ためになる。若い人ほど来てほしい、いや来るべきだと思う。

 ▽意志持つ若者

 避難者の方々も1Fの現状を知る権利がある。既に見学した人がいるし、これからも希望すれば入れるようにしてほしい。「原発なんて見たくない、東電とも関わり合いたくない」という人もたくさんいるだろうから、もちろん無理のない範囲で、だ。

 16年11月には福島高校の2年生13人が大学教授の引率で1Fに入った。私は同行取材できなかったが、生徒たちが上石さんや中島君、猪狩さんと同じように「自分の目で見て考えたい」と強い意志を持って見学したことは間違いないだろう。いわきや双葉郡など1Fに近い地域、そして全国各地にも、同じような気持ちの若者がけっこういるんじゃないかと私は推測している。

 ▽来て、見て、考える

 現状の難点は、東電が「視察・見学は申し入れの趣旨を検討して可否を判断している。放射線管理区域であり、広く一般に開放しているわけではないことをご理解いただきたい」と入構者を選別していることだ。10~20代の若者は、研究者や報道関係者に同行する形で来ている。説明する東電社員は1Fのことは語るが、周辺地域の命にまつわる話や避難者のことは語ってくれない。本筋の仕事はあくまで廃炉であり、見学対応は優先されるべきものではないから、東電としても人手をそんなに割くわけにいかないだろう。

 それでも、いつかは希望すれば老若男女誰でも1Fや周辺地域を見て回れるようになればと思う。もちろん一定程度被ばくする。被ばく量に対する考え方は人さまざまだから、心配な人は無理をしない方がいい。そのとき案内係は1Fの中も周辺地域のことにも詳しい人がやってほしい。福島県民も県外の人も、原発推進から反・脱原発まで、さまざまな立場の人が来て、見て、考えて、福島のため、日本のために何ができるのか、何をすべきなのか、それぞれがそれぞれなりにいろいろなことを感じ取れる場にならないかと、私は夢想している。(共同通信=原子力報道室・高橋宏一郎)

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 予期せぬ放射性物質の放出に備え、見学のバス車内には全面マスクや防護服が人数分用意されている。見学者は各自がアラーム付き積算線量計を携行。案内は社内の講習を受けた専門の東電社員が務め、空間線量を常に計りながら同行している。不測の事態が起きた際の避難ルートも決められている。バスから降りない1~2時間の見学で、被ばく量は10マイクロシーベルト前後。本文中に記述した通り、歯のエックス線撮影1回分に相当する。以上、東電のPRではなく、念のための補足として。

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