カンボジア「幻の陶器」復活に益子の技

陶芸家ら指導 経済的自立目指し特産品へ

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工房でコンポンチュナン焼を制作する住民を見守る山崎さん=25日、カンボジア・コンポンチュナン

 カンボジアへの国際協力機構(JICA)「青年海外協力隊等事業理解促進調査団」の一員として25日、首都プノンペンから北西に約80キロのコンポンチュナンを訪ねた。「土鍋の港」を意味する都市名。アンコール王朝滅亡後に失われた製陶技術が、益子焼の技術に後押しされよみがえっていた。

 でこぼこの舗装道路を走る車に揺られ、コンポンチュナンに入った。気温は連日30度を超え、乾期の今は雨も降らない。水のない田の赤土が広がっていた。

 国最大のトンレ・サップ湖の南にあり良質な土が採れる地として知られる。

 登り窯やれんが窯などがある工房に足を踏み入れた。「れんが窯は栃木の県窯業技術支援センターの指導で造られたんです」と現地で製陶振興に力を尽くす山崎幸恵(やまざきゆきえ)さん(44)=神奈川県藤沢市出身=が教えてくれた。1994年から協力隊員として活動し、その後、通訳もしていた。

 工房では地元の20代~50代の男女約10人が黙々と、粘土の形を整え、模様を付けていた。

 カンボジア伝統の製陶技術に注目し光を当てようとしたのは、山崎さんだ。

 9~15世紀のアンコール王朝時代、優れた技術の「クメール焼」があった。ゾウをかたどった装飾品などがイメージされるが、完全に失われ、「幻の陶器」とも呼ばれる。

 「高度な製陶技術を再興したい」。山崎さんが2000年ごろ、日本の「自治体国際化協会」を通じ支援してくれる自治体を探すと、本県が手を挙げた。

 コンポンチュナンで当時、作られていた素焼きの土鍋は釉薬(ゆうやく)を使わず、もろくて色味のないものだった。

 05年から県窯業技術支援センターの塚本準一(つかもとじゅんいち)さんらが定期的に窯業指導や窯造りに当たった。ろくろや釉薬の使い方、窯の作り方などを現地の人に丁寧に教えた。

 日本財団が「伝統陶器復興プロジェクト」として引き継ぎ、益子町在住、陶芸家岩見晋介(いわみしんすけ)さんらも協力した。山崎さんはプロジェクトマネージャーだ。

 「コンポンチュナン焼」として知られ始めた装飾品や皿などの陶器。山崎さんが経営するプノンペンの店舗やショッピングモールで売られ、飲食店から受注もある。現地の人たちは収入を得られるようになり、経済的自立にもつながった。

 「ここまで来られたのは栃木の力があってこそです」と山崎さん。「カンボジアの特産品に高めたい」

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