【特集】幕末の蔵元、都心に復活

100年経て清酒「江戸開城」

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早朝のオフィス街を見下ろす4階ベランダで、米を蒸す=1月、東京都港区芝
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ビル街に誕生した蔵元「東京港醸造」=1月、東京都港区芝
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一本一本手作業で「江戸開城」のラベルを貼る=1月、東京都港区芝

 東京タワー近くの港区芝で日本酒が造られている。江戸時代に創業しいったん廃業した蔵元が、100余年を経て復活したのだ。1868年に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの談判を行った地とあって、銘柄は「江戸開城」。幕末の香りが漂ってきそうな酒造りを見に行ってみた。

 ▽手作業

 JR田町駅に近いオフィス街。冷え込んだ冬の朝、ビルのベランダに設けた「甑(こしき)」と呼ばれる大型の蒸し器からもうもうと湯気が立ち上り、米の匂いが広がった。2011年始動の「東京港醸造」だ。

 蒸し米は室内に運んで広げて冷まし、こうじ菌を付ける。分厚い扉で仕切られた恒温室では、2日前に仕込んだ米こうじが発酵を続けていた。

 「大手会社は地方で大規模に全部機械でやるのに、ここ東京での酒造りは全部手作業ですわ」。両手で丁寧に米こうじを混ぜ返しながら、杜氏の寺沢善実さん(56)が笑った。

 敷地22坪に建つ4階建てのビル。2階には高さ150センチほどの650リットルタンクがずらり。4階で米を蒸し、3階で冷まし、4階の恒温室で発酵、仕込みは2階のタンク…と、作業が上下階に分かれるため、大きな容器を持って階段を上り下りすることもたびたびだ。

 しかし寺沢さんは小規模のメリットを強調する。「機密性が高く空気の出入りが少ないので、夏も空調の効率が良く低温を維持しやすい。ビル全体が冷蔵庫になるようなものです」。さらに「少量を作れるので、万人が好む平均値を目指さなくていい。好きな人だけが飲めばいい、という商品に挑戦することもできる」とも。

 仕込み水は、ろ過した水道水。高度浄水処理され、「東京水」としてペットボトルで販売もされている中軟水は、水質が安定し、酒造りに適しているそうだ。

 ▽ビルまるごと

 東京港醸造の“母体”は1812年創業の造り酒屋「若松屋」。芝にあった薩摩藩邸が近く、西郷隆盛が酒代代わりに置いていったとされる書が残るなど、志士が出入りした御用商だった。

 後継者の早世などで1909年に酒造りを廃業し、その後は雑貨業などを営んできたが、7代目の斉藤俊一さん(62)が「蔵元の歴史をつなぎ、東京土産になる酒を造り地域活性化も狙いたい」と、15年ほど前から復活を模索してきた。

 とはいえ、すでに周囲はオフィスビル街。芝での再開は無理だと思ったという。「だって、酒蔵と言えば、やっぱり広い敷地と土塀のイメージでしょう」

 しかし、大手酒造会社に勤め、都内の商業施設でレストラン併設の小規模醸造所を運営していた寺沢さんと出会い、「都心のビルでも酒造りができるじゃないかと、目からうろこが落ちました」と斉藤さん。

 7年前に大手を退社した寺沢さんと2人で、酒造免許を取得するため地元の税務署に通い、どぶろくとリキュールの製造が認められて東京港醸造を立ち上げた。さらに昨年7月には清酒の製造免許も取得。ビルは寺沢さんが設計から参加して、水回りの整備のほか、階をまたいで原料などを移すシューターや恒温室の設置など、建物まるごとを醸造所の仕様に改装した。

 ▽変化する酒

 昨年8月に初めての清酒「純米吟醸 江戸開城」が誕生して以降、月に一升瓶で約500本のペースで生産。720ミリリットル2000円(税別)で醸造所で直売するほか、地酒専門店や百貨店に出荷している。3年後の東京五輪までには生産を4倍に増やしたいという。

 都心で酒を造る最大のメリットは、大消費地の中にあり、流通コストが掛からないこと。朝搾った酒を、その日の昼や夜に飲んでもらうことも可能だ。

 さらに、「理想の酒を求めて手探りを続けます。酒米を変えたり、やり方を変えたりして酒を変化させていきたい」と寺沢さんは意気込む。常に変化する街・東京を表現する。そう考えている。(共同通信=小森裕子)

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