入団3年連続60登板、中日26歳右腕が秘める野望「自分はやらなければいけない」

環太平洋大学を卒業後の2013年。香川オリーブガイナーズに入団した又吉は、少人数で運営されるチームの舞台裏を目の当たりにし、試合をする環境が整うように「チームがどういう風に回っているのか」を知った。

「この3年間はずっと悔しい思いを持っている」と話す中日・又吉克樹【写真:荒川祐史】

成り上がる―、又吉克樹が独立リーグで身につけた底知れぬ貪欲さ

 プロ4年目を迎える中日・又吉克樹は、独立リーグ四国アイランドリーグ(IL)plusで過ごした1年で「プロ野球選手としてお金をもらう以上、どういうことをしなければいけないのか、人として大切な部分を教えていただいた」と話す。環太平洋大学を卒業後の2013年。香川オリーブガイナーズに入団した又吉は、少人数で運営されるチームの舞台裏を目の当たりにし、試合をする環境が整うように「チームがどういう風に回っているのか」を知った。

「スポンサーさんへの挨拶、自治体への挨拶、試合が終わってのファンサービス。どんな形でもチームを支えて下さる方への礼儀は欠かせない。人前に出て喋れるようになったのも、間違いなく独立リーグのおかげですね。1年だけでしたけど、西田(真二)監督にはいろいろ教えていただきました」

 大学時代、プロ野球選手を目指したいと思った又吉は、社会人野球か独立リーグか、進路を迷った。そんな時、アドバイスをくれたのが、大学で投手コーチを務めていた堀田一彦氏だった。プリンスホテル時代には日本代表にも選ばれ、その後、専修大コーチ時代には黒田博樹を指導。そんな堀田氏は「俺はお前に社会人で学んだことは教えられるけど、プロの世界のことは教えられない。もし行くんだったら、独立リーグの方がいいんじゃないか」と、教え子に伝えたという。

「堀田コーチの、その一言があったのが大きいですね。実際、香川に行ったら、西田監督というプロで成績を残された方が、プロの世界について毎日話してくれた。事あるごとに教えて下さるし、ベンチでもずっと喋っている(笑)。そこから何かヒントを掴もう、何かを学ぼうと貪欲になりました」

「夢を叶える場所であり、諦める場所」―、13年ドラフト2位指名で「恩返しができた」

 入団前に独立リーグの給料が低いことは知っていたが、「どこまでもらえないのか、正直認識が甘い部分があった」と振り返る。プロ野球選手は、子供たちに夢を与える憧れの存在であると同時に、生計を立てるための職業でもある。そんな現実的でシビアな側面も、独立リーグを経たからこそ学べたことだ。低い給料を補うため、バイトをするにしても時間は限られる。そんな時に知ったのが、成績上位者に与えられる賞金の存在だった。

「成績を残せば賞金がもらえるチャンスがあるって知った時、その賞金を取るためにはどうしたらいいかを考え出した。やっぱりはじめは、自分の中でもお金を稼ぐために野球をするっていうのは、すごく違和感がありました。でも、自分が結果を出して、結果に見合った評価をしてもらうのは当然。逆に、結果が出せずにお金も稼げなかったら、いつでもクビになる危機感もありました。自分が香川入りしたことで、選手枠を空けるために他の選手が切られていくのも目の前で見てきたので。

 結果が出ないと明暗が分かれる。これで終わっちゃいけないっていうのは常にありましたし、やっぱり一番になりたい。一番になれば一番目立つし、プロのドラフトに掛かる率も高くなるわけですから」

 ハングリーに1年を過ごした結果、24試合に登板し、13勝4敗、防御率1.64の好成績を残した。2013年ドラフトでは中日が2位指名。それまで独立リーグ出身者の最高位4位を2つ上回った。自分の成績が評価されて掴んだ上位ドラフトだが、その裏では「西田監督や球団の方々が、NPBのスカウトの方にいろいろ声を掛けて下さった」。花形でプロ野球入りを果たしたら知り得なかったであろう「どれだけ周りの人が売り込みに力を尽くしてくれたのか」を目の当たりにしていただけに、ドラフト2位の知らせを受けた時、まず浮かんだのは「恩返しができた」という思いだった。

「『また一つ道が拓けた』って言ってくれた時、よかったなと思いましたね。今年は大学や社会人に進まず、高校から独立リーグに入った子がいますよね(伊藤翔)。彼がまたプロに入ることになれば、また広がる。独立リーグは、経営者の方も言っているように、夢を叶える場所でもあり、諦める場所でもある。中途半端にやるんだったら辞めなさいっていうカラーがある。それを経験できたことは大きかったですね」

3年連続60試合以上登板も「この3年間はずっと悔しい思いを持っている」

 香川で得たハングリーさは、舞台がNPBに変わっても色褪せることはない。2014年にプロ入りしてから3年連続で1軍で60試合以上の登板を続け、通算防御率は2.76、WHIP(1回あたりに与える四球数+安打数)は1.15と安定した数字をキープ。15年春には侍ジャパンに選ばれ、欧州代表と戦ったが、自己評価は実に厳しい。

「1年を通じて1軍に居続けたことがないので、この3年間はずっと悔しい思いを持っています。使ってもらっている、という感覚。まだ納得していないし、するつもりもないです。今年は1軍に1年間居続けて自分の居場所を作る。まだ第一段階のそれができてないのだから、先の成長はない。そこは自分で切り拓くしかないですよね。アピールするにしても『自分はできるんだ、やらなければいけない』って気持ちをどれだけ持ち続けられるか。春が来たら、もう一度ゼロからの勝負。そうじゃないと自分は成長しないと思っているんで

 侍ジャパンに選ばれたのも過去の話。もし代表だったと言うのであれば、WBC本戦のメンバーに選ばれていれば、のこと。選ばれたことは光栄ですけど、自分の自信にはならなかった。WBCメンバーに入れなかったということは、周りの選手を上回る評価をもらえなかったから。逆に自分のレベルの低さを知りましたし、2020年の五輪もありますから、もっとよくなって呼んでもらえるようになろうと思っています」

「自分でハードルを上げておかないと」と話す右腕は、今年の春、先発にも挑戦している。自分の可能性に自分で限界は作らない。「どれだけ稼ぐんだ、有名になるんだ、活躍するんだ」という気持ちを持って、野球、そして自分自身と向き合う。

「独立リーグ出身のバッター=角中(勝也)さんで定着している。だから、自分は独立リーグ出身のピッチャーとして定着する存在になりたいです。そこまで成り上がらないと、何のために野球をやっているのか。独立リーグを出た以上、その経歴は引退するまで付いてくることだし、その責任と自覚はあります。だから、転ぼうがつまずこうが、もっともっと(上に)というのは止まらないと思いますね」

 プロ入り4年目、26歳右腕・又吉克樹の成り上がりストーリーは、まだまだ始まったばかりだ。

佐藤直子●文 text by Naoko Sato

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