【特集】「慎太郎節」で反論、豊洲問題 石原会見、歯切れ悪さ残し

険しい表情で会見に臨む石原慎太郎氏
都内で報道陣の取材に応じる石原慎太郎氏=2月22日
東京都江東区の豊洲市場
1999年4月、都知事として初登庁、花束受け取り、手を振る石原慎太郎氏

 小説「天才」で田中角栄元首相の一生を描き、昨年久しぶりにベストセラー作家となった84歳の石原慎太郎氏。都知事時代に築地市場(中央区)から豊洲(江東区)への移転を推し進めた最高責任者として、今年は逆境の時を迎えている。3日に都内で会見して豊洲移転は知事就任前からの既定路線だったと説明、土地購入の経緯について自分に報告なかったとの持論を展開した。20日には都議会の調査特別委員会(百条委員会)の証人喚問が待ち受ける。屈辱を晴らしたいと語っていた石原氏だが、みんなで決めたこと、都庁全体の意思との言い分には歯切れの悪さが目立った。(共同通信=柴田友明)

 ▽「浜渦に任せた」

 小池百合子都知事が昨年送った質問状に石原氏が文書で回答したのとほぼ同じ内容の会見が繰り広げられた。

 「1999年4月に都知事に就任する以前から都の幹部の間では築地市場の限界を感じ、豊洲という場所を決めていた。既定路線のような話」「私自身は(土地所有者の東京ガスとの)交渉に全く関与しておりません。全て浜渦(武生副知事)に任せておりました」。都民が納得するやりとりができたかとの質問に、いろんな問題が残ったと不十分さを認めるような回答も。

 土地購入の際の土壌汚染対策費の東京都と東京ガスの「瑕疵(かし)担保責任」についても「知事として判断を求められたことがない」「(浜渦氏から)報告がなかった」と何度も答えた。

 土地購入の詳細が明らかにされておらず、都議会共産党が入手した交渉記録によると、市場には適さないと売却に難色を示した東京ガスに対して、浜渦氏が2000年10月、「水面下」での話し合いを要請。4カ月後に双方が移転協議を始める覚書を交わし、その後基本合意に至った。この間の公的な交渉記録は残っていないとされる。

 ▽2度目の逆境

 昨年8月に就任した小池知事は早期に、築地から豊洲への市場移転に「待った」をかけて存在感を示した。土壌汚染対策を施したという豊洲新市場の建物下にあるはずの盛り土がされておらず、地下水がたまっていたことや基準値を超えた新たな汚染状況も判明。

 新市場の安全性への不安が高まるとともに、それまでの都の隠蔽体質にもメスを入れようとした小池氏への期待が集まった。国民的な関心事となった「小池劇場」の中で、今年7月の都議選を控えた各会派とも敵役になりたくないという思惑もあり、百条委設置も急転直下で決まった。

 実は、移転問題で石原氏が窮地に立たされるのは今回だけでない。現職の都知事の時にもあった。09年7月の都議選で、強引な移転に反対を唱えてきた都議会民主党が最大会派となったからだ。選挙戦では高濃度のベンゼンなどで汚染されていた豊洲への移転問題も争点の一つとなった。応援に入った民主党の鳩山由紀夫代表(当時)の第一声は築地市場近くであり「移転させない」だった。

 8月の衆院選で民主党の歴史的大勝利となり、自民からの政権交代が実現。石原都政にとって大きな逆風となった。都議会では移転関連予算について「議会の検討結果を尊重する」とした付帯決議が付けられ、予算は事実上凍結された。

 ▽石原氏の強弁

 都議会で現在地再整備案が検討されたが、反転攻勢するかたちで石原氏は10年10月、築地市場の豊洲への移転を正式に表明した。

 「知事が歯車を大きく回すしかない。それがリーダーとしての責任だ」。「都議会で現在地(築地の)再整備を検討したが、(完成までに)10数年かかるという致命的な欠点が明らかになった」。東京ガスの工場跡地として更地になっていた豊洲市場の建設が不可避となった瞬間だった。

 当時、都政担当の記者だった筆者は、トップの石原氏の下、都庁全体が一つのマシンのように豊洲への移転に向けてしゃにむに突っ込んでいくようなイメージを持っていた。石原氏はこの決断会見で豊洲の土壌汚染について「わが国を代表する学者の英知を借り、日本の先端技術を活用する」と何度も繰り返した。

 今となっては根拠のない強弁としか言えない。移転について東京都が見直す貴重な機会は失われた。

 12年10月に4期目半ばで石原氏は電撃的に辞職を表明。13年半にわたる石原都政の最後は、本人自身が都政への興味を急速に失っていたと多くの人が証言する。そんな中、既定路線として市場移転という命題だけが主を失ったまま、さまざまな情報がオープンにされないまま進められていった。

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