駐在さん、お疲れさま 津久井署、地域と歩み今春勇退

 津久井署(相模原市緑区)管内には13の駐在所がある。家族と一緒に住み、地域の人たちと職務を超えたつながりを持つ。そんな生活を送ってきた2人の「駐在さん」が3月末で定年を迎える。串川駐在所に29年間勤務した山下賢一警部補と、青野原駐在所に35年間勤務した伊東靖警部補だ。同期の2人にそれぞれの思いを語ってもらった。◆充実した警察人生 串川駐在所29年 山下警部補 42年間の警察官人生のうち、29年間を津久井湖や宮ケ瀬湖に近い山あいの串川駐在所で過ごした。国道412号を走り回った暴走族、近所で起きた死亡ひき逃げ事件…心に残る事件は次々と脳裏によみがえる。「忘れられないですね」 着任は31歳だった。出身の長崎県東(ひがし)彼(その)杵(ぎ)町で「駐在さん」は身近にいた。公舎で知り合った同僚が先に串川駐在所へ引っ越し、遊びに訪れたこともある4歳下の妻悦子さんが「駐在所って、いいね」と乗り気だった。偶然にも後任となった。

 交通安全指導はもちろん、卒業式、幼稚園や学校行事、消防団の会合と、カレンダーは埋まる。休みはあって、ないようなものだ。それでも、「地域の人たちの意識が高いので、その思いに支えられた」。気軽に話せる関係になるため、仕事を抜きにした付き合いや家族ぐるみの関係を大切にしてきた。

 巡回中に手を上げてあいさつされ、「定年しても遊びに来てよ」と言われる喜びは駐在所勤務ならではだろう。駐在所同士の強い絆にも感謝している。

 ママさんバレーで地域に溶け込み、元気に振る舞っていた妻悦子さんだったが、病魔に侵され5年前に52歳の若さで亡くなった。支えてもらった妻と「卒業」の喜びを分かち合いたかった思いはある。

 だが、娘3人の存在が心の支え。赴任当時、3歳の長女と1歳の次女の娘2人だったが、駐在所生活で生まれた三女は今では28歳。長女夫婦から「一緒に住もう」と言われ、定年後も同じ緑区内で生活できることになった。

 「やりがいがあったし、充実した警察人生でした」とほほ笑んだ。◆住民に育てられた 青野原駐在所35年 伊東警部補 「観光客はともかく、平日に知らない顔を見ると、誰だろうと気になって仕方がない」。それだけ住民みんなが顔なじみ。子どもの顔を見れば親が分かる。地区の体育祭は来賓ではなく選手として5〜6種目出場してきた。「素で付き合わないと相手にしてもらえない」という意識からだったが、今では祖父から孫まで4代にわたり付き合う家庭もある。

 1982年4月、北丹沢の山々に囲まれた青野原駐在所に25歳で着任。当時は妻ひとみさん(59)と結婚が決まり、駐在所で新婚生活をスタートさせた。「10年ぐらい勤務できればいいかな」と考えていたが、気付けば35年。「この土地が自分の気質に合っていた」と振り返る。

 昨年は過去にないほど忙しい1年だった。4月に青根小で火災、8月に住宅火災で1人死亡。任期中に火災で死者が出た衝撃は心に刺さる。そして12月に摘発された覚醒剤230キロの密輸事件は、地域が舞台となり、解決に一役買うことができた。それも住民の協力があってこそだった。「最後に恥かかなくて良かった」とホッとした様子だ。

 二輪車に3人乗りの暴走族対策に追われたのも若かりし思い出。空ぶかしの音で誰が運転しているか分かった。手を焼いた若者グループは、今では立派な中高年。うれしいことに今月送別会を開いてくれた。

 31歳の長女は米国で暮らし、22歳の長男は父の背中を見て県警入りした。長男と同じ世代の子どもたちは、この10年で8人が警察官になったほど与えた影響力は大きい。

 それでも、「地域の人たちに育ててもらった。この地域からは離れられない」と、青野原地区に自宅を建てた。今後は自治会活動に携わっていく。

 ◆県内の駐在所 県警地域総務課によると、県内の駐在所は計137カ所。1署当たりでは小田原署管内が最多で17カ所ある。

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