娘の優しさ、孫に託す 尼崎脱線事故遺族が手記

画像7年かけてまとめた手記を前に、脱線事故で亡くなった娘智子さんの思い出を語る上田直子さん=丹波市市島町

 「3人の成長を早く旅から帰って見てやって」-。尼崎JR脱線事故で長女の平野智子さん=兵庫県三田市、当時(39)=を亡くした同県丹波市市島町の上田直子さん(78)が、7年がかりで手記をまとめた。娘の思い出を忘れまいとつづり始め、原稿用紙50枚になった。智子さんが残した3人の息子は長男(25)が昨年父親になり、弟たちも進学など自分の将来を見据え始めた。「ママは優しい人だった」。いつか孫たちに手記を託し、記憶を継ぐつもりだ。(金 慶順)

 智子さんは結婚を機に三田市へ移り住み、2005年4月、自宅から大阪へ向かう途中で事故に遭った。翌日の遺体安置所で、小中学生だった3人の孫と共に智子さんと対面したときのことを、直子さんは今も忘れられない。

 「誰一人として声も出さず、涙を流すことさえしなかった。そのときの本当の気持ちは、今になっても聞くことができない」

 時間がたつほど「あの事故さえなければ」と悲しみや喪失感が募った。一方で、智子さんが三田市内で絵本の読み聞かせ活動をしていたことを、友人から聞いて知った。所属した読み聞かせグループ「しずくの会」は08年から毎年、智子さんをしのぶ集いを開いている。

 「一人一人が智子に聞こえるよう絵本を読んでくださる中、亡き智子の姿を思い出しながら、皆さんの心の優しさに涙を止めることができませんでした」

 知人のすすめで、智子さんの思い出や新たに知った一面を、家事の合間に書きとめた。日本舞踊を習った少女時代、子どもが好きで読み聞かせでも人気者だったこと、大事に育てていた時計草が事故後に初めて花を付けた話-。「ますます娘が恋しくて子どもの成長を見せてやりたい気持ちがいっぱい」。10年たっても消えない悲しみも書いた。

 智子さんの長男夫婦には昨年男の子が生まれ、今年3月に大阪で結婚式を挙げた。「ママがおったら何て言うかな」。直子さんは孫の問いに答えることができなかった。しかし、親として迷ったとき「手記が力になれば」と願っている。

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