「横浜には僕の原風景がある」。デビュー10年を迎えた秦基博(36)が5月4日に、横浜スタジアム(横浜市中区)で初めてライブを行う。横浜から羽ばたき、数々のヒット曲を世に送り出しているアーティストの足跡や魅力に迫った。
ハマスタを最初に訪れたのは、リトルリーグで白球を追い掛けていた小学校高学年の時。横浜市大会の開会式があり、ユニホーム姿でグラウンドを行進した。
法政大学第二高等学校(川崎市中原区)に進学後、母校が神奈川県予選で勝ち上がった時は、観客席から声援を送った。
同じころ、クラスメートが音楽の甲子園と呼ばれた高校生のバンドコンテスト「ヨコハマ・ハイスクール・ホットウェーブフェスティバル」(1981〜98年開催)に出場。スタンドでその雄姿を見守った。
「野球観戦にも何度も来た」と広がる青いベンチを見つめる。普段着の思い出がたくさんある場所だ。
プロ野球選手を夢見た少年時代、バスケットボール部の副部長を務めた中学校時代。どちらもスランプに陥ったり、壁にぶつかったりした際、「もう辞めよう」と諦め、踏ん張ることができなかった。
「音楽だけは違った」 小学校6年生の時に、兄が持っていたアコースティックギターを譲り受け、教本を見てコードを覚えた。作曲したり、大学ノートに感じた思いをしたためていった。
友人の縁で、横浜・中華街にあるライブハウス「F.A.D yokohama」に出入りするようになり、99年に初めて人前で歌った。
観客は5人だけ。しかし、その伸びやかな歌声が、オーナーの橋本勝男の耳をとらえた。
「天から授かった声」 2006年11月にシングル「シンクロ」でメジャーデビューしてからは、音楽制作だけではなく、多岐にわたる多忙な活動に気持ちが追いつかなくなることも。
自分を見失わないように。もがき、秦基博にしかできない音楽とは何かを問い、奮い立たせた。
デビュー4年目に制作したアルバム「Documentary」は表現を突き詰めたアルバムになった。
普遍的なポップスとは何か? 皆はどんなときにさみしいと感じるのか? 幸せは? 憤りを感じるのは? と想像を巡らせた。
「でも、他者がどう思うかより、自分の中にあるものを追求した方が、同じ時代を生きている人間の一部分を、色濃く抽出できる」と思い至った。
自分のことを歌おう。
日々の中で感じている気持ちを言葉にするため、己と向き合う。どの言葉ならば伝えられるのだろうと、自問自答する苦しい時間でもあった。楽曲には光だけでなく、その裏にある影まで描きたい。
葛藤の末に生まれたのは、名バラード「アイ」。
〈目に見えないから アイなんて信じない〉 愛する人を思うとき。いとしい気持ちと、失ってしまうかもしれない怖さが同居する。「人は一人で生まれて、一人で死んでいく。最終的には孤独だけど、一人じゃ生きていけない。だから近づいたり、遠ざけたり、与えてもらったり、分け合ったりして生きている」 感情を、言葉と音で照らす。それは波紋のように広がり、気がつかないうちに閉じ込めていた思いをすくいあげ、心の奥をじわり温めてくれる。秦ならではの表現が凝縮されている。
空や海、自然を描こうと思うとき、横浜の景色が広がる。「アゼリアと放課後」には、育った青葉区に坂が多かったこと、リトルリーグの練習のため、隣町まで自転車を走らせた経験を重ねた。
ハマスタから日本大通りまで向かう真っすぐな道は、空が抜けていて大好きな風景。イチョウ並木が青く茂るころにはドライブに来たりもする。山下公園はアマチュア時代、MCで何を話そうかベンチに座って考えた場所だ。
08年に始球式の大役を任され、ことしの本拠地開幕戦では、歌も披露したハマスタ。「いつかここでライブをしたいと思った念願の場所。10周年の集大成に」と力を入れるステージはバンドとアコースティックギター1本で聞かせる2部構成。
五線譜の中を泳ぐような歌声が、「大好き」な横浜の空に響く。【公演情報】「HATA MOTOHIRO 10th Anniversary LIVE AT YOKOHAMA STADIUM」 公演日時:5月4日午後5時開演 会場:横浜スタジアム 問い合わせ:ソーゴー東京電話03(3405)9999