【神戸製鋼の技術経営・コングロマリット経営の将来展望(上)】〈川崎博也会長兼社長〉設備老朽化への対応「1ミル体制の宿命も」

厚板など「改修後は最新鋭設備に」

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――高炉大手3社の中では現在、唯一の技術系のトップ(CEO)です。まずはどうして神戸製鋼に入社したのか、そのきっかけを。

神戸製鋼所・川崎会長兼社長

 「京都大学の機械出身で、そこで研究していたのは金属の高温物性。こういう性格なので(笑い)、あまり細かいことには向いていない。スケール(規模)の大きい鉄鋼業に進みたかった。初めに考えたのは川崎製鉄。当時の水島製鉄所に行かせてもらったが、これはすごいスケールだなあ、入社したいと思った」

 「一方で私の出身地は和歌山。親は『鉄鋼メーカーに入社するんだったら、住友金属の和歌山があるぞ』と。ただメーンは関東の鹿島製鉄所だからどうかなあ…と。西の企業に入りたかった」

 「そんな時に、京大テニス部の先輩で神戸製鋼に入社した人から『川崎よ、神戸製鋼に来い。鉄鋼もあるし機械部門もあるぞ。いろんなことがやれるぞ』と言われて。気持ちがぐらっときた」

――大学院を修了して入社したのは1980年(昭55)。神戸製鋼の社風は自分に合いましたか?

 「まあなんとハードな仕事をやらせる会社だなあと…。1年間の現場実習の後、81年4月1日に加古川製鉄所の中で、今で言う設備部に配属されたが、初日から徹夜仕事に。当時、設備診断と原料地区のメンテナンスを担当していた。トラブル対応に追われたし、何時間働かされるんだろう…えらいところに配属されたなあと」

――27歳で職場結婚しましたね。

 「職場で隣の席にいたのが今の妻。結婚してすぐ長女が生まれたが、私に懐かなかった(笑い)。娘が寝ているうちに家を出て、寝た後に帰ってくる生活が続いたので…。土日もほとんど出勤だった。まあ、よく働いた」

――仕事はやりがいが?

 「上司が自由にやらせてくれる人だったので、自分一人で起案して、好きなことをどんどんやれたのは面白かった。とにかく任せてくれる上司だったので、結果として自然と責任感が増した、と言えるかもしれない。設備部ではそんな感じで9年間やっていた」

――設備の話が出ましたが、設備のプロである川崎さんから見て、神戸製鋼所の、また、日本鉄鋼メーカーの設備老朽化の課題をどう考えていますか?

 「老朽化はどの会社も一緒。我々は1ミルなので、簡単に修理のために設備を止められないという点で、老朽化による設備更新をどうやっていくかという課題がある。加古川製鉄所は68年にまず厚板工場が稼働。70年に1号高炉が稼働して、その後2号、3号高炉が稼働した。稼働から年数が経過している厚板ミルについては、これから最新鋭の設備への改修を検討する中で付加価値を高められるよう考えていきたい」

――1ミル体制ならではの難しさがありますね。

 「1ミル体制の宿命は上工程も同じだ。原料地区、つまり焼結工場とペレット工場に供給余力がほとんどないため、有事に備え十分な在庫を積んでいる焼結機やペレット設備が常にフルで稼働しないと出銑レベルとミートしない構造の中で、どのように改修するか想定しておかないといけない」

――そうなれば、かなり大掛かりなプロジェクトになりますね…。

 「他社が更新工事を相次いで進めているコークス炉も課題の一つ。当社の場合は別会社(三菱ケミカルとの合弁会社である関西熱化学)の運営になっているが、これもいずれは更新時期がくることになる。これまでかなり丁寧に操業していることもあり、今のところは大丈夫。更新時には、大きな投資額が必要になることを踏まえると、寿命診断やメンテナンス技術の高度化も重要と考えている」(一柳 朋紀)