「サッカーコラム」鹿島は勝負に対する厳しさの基準が違うのか

5月4日のJ1序盤の大一番で浦和に競り勝つ

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J1 浦和―鹿島 浦和に勝利しサポーターにあいさつする鹿島イレブン=埼玉スタジアム

 「試合を通して8割ぐらいは相手のコートでゲームを進めることができた」。浦和のペトロビッチ監督の言葉を額面通りに受け取れば、2チームの力関係に大きな開きがあるように思える。ところが、勝利を収めたのが「2割」の鹿島となれば話は違う。もしかして、相手の策にはまった「かりそめ」のボール支配だったのかもしれない。思い出すのは西遊記。きんと雲に乗って世界の果てまでたどり着いたと思い得意になっていた孫悟空が、お釈迦様の手のひらの上で遊ばされていたという話だ。

 リーグ首位と3位の直接対決。5月4日のJ1第10節、浦和と鹿島の一戦。J1序盤の大一番は「言った」「言わない」というプレーとは関係のないところに話題が集中した。その中で試合内容を振り返れば、最高級ではないものの、かなり良質のものだった。

 理想主義者と現実主義者のぶつかり合いのような試合。見た目には押し気味の展開の浦和が0-1の敗戦を喫する結果となった。昨年のチャンピオンシップのイメージが強いこともあり、鹿島の勝負強さが際立った形だった。しかし、それ以前からの流れを見ていれば、逆に目立つのがペトロビッチ体制下での浦和の「ここ一番の勝負弱さ」ともいえる。昨年はリーグ戦とチャンピオンシップ決勝で、鹿島に埼玉スタジアムで敗北。この4日は5万7447人と超満員になったホーム開催も関係したのだろうか。浦和が選択したのは「攻める」サッカーだった。柏木陽介、遠藤航というパスの出し手が欠場したのも影響するのか、3バックの両サイド、槙野智章、森脇良太が「行き過ぎではないか」というほど攻め上がる。

 一方、鹿島は冷静なリアリストだった。日差しが強かったこともあり、エネルギー消費を最小限に抑えた「動かない」サッカーを実践。スタンドの上から全体を見渡すと、鹿島の選手の移動距離は通常に比べればかなり限られていた。例外だったのは、小笠原満男とレオシルバの2ボランチだ。後方に構えられた最終ラインの前方で、浦和のパスの出どころに恐ろしい反応で移動していく。戦術眼を伴った瞬時の判断に加え、抜群のスタミナを備えなければ不可能なプレー。それを38歳と31歳のいぶし銀コンビが淡々とこなす。ある意味でサッカー界の伝統工芸だった。「連戦と暑さの中で、したたかな戦い方が大事だった」。試合後の小笠原の言葉だ。そのしたたかさは「勝利」という唯一無二の目標を達成するための手段としてある。

 この鹿島を例外にすれば、わが国は戦術的柔軟性に欠けるチームが多い。欧州の一流チームは自分たちのスタイルを持ちながらも、状況が変わればそれに合わせたプレーをする。一方、日本はザック・ジャパン時代の「自分たちのサッカー」ではないが、状況が変わってもいつも同じことをやるのが美徳だと勘違いしている。その意味でJリーグを代表する4日の両チームは、浦和はあくまでも日本的で、鹿島は外国的だった。鹿島はJクラブの中でも独自のメンタリティーで進化してきた感じがする。もちろんベースに「ジーコイズム」という核があるのだが、より西洋的な合理主義者の集団という感じが強い。

 浦和戦の前半24分の決勝点。金崎夢生の左足シュートのような場面は、日本では当たり前のようで、現実には少ない。DFに密着されゴールに背を向けてボールを受けた場合、大抵の日本選手は味方にボールを戻すのだ。そう思うと金崎のサッカーに関するメンタリティーは、ひと味違うともいえる。小笠原のパスを受け「最初はキープしようかと考えた」というプレーを「前を向けそうだったので」と強引にシュートに持っていった。これは若い鈴木優磨にも共通するのだが、Jリーグの外国人ストライカーがよく見せるプレーだ。

 リーグ、天皇杯、リーグカップの主要タイトル19冠。鹿島が他クラブを圧倒するのは、突き詰め方の違いなのではないかなと思うときがある。勝負に対する厳しさの基準が、鹿島だけ違うのだ。結果を求めるために良い意味で手段を選ばない。

 いまや日本のカンナバロ、と筆者が勝手に思っている昌子源。彼は「勝ち点6」にも値する試合を制し「自分自身、勝負強さは分からない。普通に試合をやって勝った」と語っていた。この「普通」という基準に、他クラブとの感覚のズレが存在するのではないだろうか。気がつけばいつのまにか首位。独自のメンタリティーで進化している可能性のある鹿島は実に強い。

 岩崎 龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2014年ブラジル大会で6大会連続。

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