鉄鋼・非鉄関連業界活躍する女性群像(1)

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「鉄鋼メーカーは女性向き」/新日鉄住金技術開発本部基盤メタラジー研究部長/河野佳織氏

 2012年の新日鉄住金誕生と共に発足した基礎研究を担う基盤メタラジー研究部の部長に。新日本製鉄、住友金属工業の旧2社時代を含め初となる女性での部長となった。

 男女雇用機会均等法が86年に施行されて間もなくの89年に入社し、初めの研究部門は鋼管。米国の研究所へ1年間業務研修で派遣され、帰国後は薄板で自動車用ハイテンの組織制御を研究した。鋼管や薄板の研究でも基礎的な要素技術を考察してきただけに、10年、20年先のシーズを探る今の基礎研究にも通じるものがあるという。

 基盤メタラジー研究部は組織制御、計算科学、表面の潤滑現象の3グループ・21人。部長としてマネジメントが専らとなり、特に最大のミッションは人の育成だ。若い研究者が多く、個々に応じたコミュニケーションをとるよう心掛けている。

 採用活動では女性の志望者に「鉄鋼メーカーは女性向き」と語っている。他産業では技術が陳腐化しやすく事業撤退も目まぐるしく起きるが「鉄はホームランこそ出にくいが、地道な研究が求められる」。ライフイベントでブランクが生じても、女性が復帰しやすい研究職という隠れた魅力を伝えている。

 一方、鉄の基礎研究では新たな可能性が広がりつつある。分析技術の高度化が進み「これまで見えなかったものも見えるようになってきた」。未知なる鉄の世界を切り拓く研究部隊として「部下が研究に専念できる環境を整え、成功体験をもたらすことでいい研究者を育てていきたい」

「新しいものを作りたい」/昭和電線ホールディングス取締役/長谷川隆代氏

 昭和電線ホールディングス初の女性役員。グループ全体の技術開発などを管掌しており、自らも技術者として長く第一線を走ってきた。学生時代は応用化学を専攻。理工系を選んだのは「誰もやっていないことをしたい、新しい物を作りたいと思っていたから」だ。入社3年目から役員就任まで酸化物超電導をテーマに開発に打ち込んだ。会社として研究を始めた時期から担当し「最初は材料をすり潰す乳鉢と小さな電気炉が研究室にあるだけだった」と振り返る。

 管理職に昇任してからは常に部下との会話を重視。時間をかけて考えを理解してもらい、チームのベクトルを合わせながら仕事を進めてきた。「全員で同じ目標を目指して取り組めば、困難があっても乗り越えられる」と笑顔。また仕事と並行し「必ず何かでナンバーワンを持つ技術者になる」と論文を仕上げて博士号を取得。超電導という新分野の中で多くの発見をしてきた。乳鉢からスタートし仲間と共に進めてきた開発は、一部事業化が始まり送電ロスを抑制する電力ケーブルは実証段階に入っている。

 現在は「全社の技術を結集し、我が社としてこれまでにない領域に挑戦していく」ことが目標。挑戦にはリスクも伴う。だが5年先の市場をにらみ周囲と意識を共有。一丸となって成長分野を切り開いていく考えだ。「新しいものを作りたい」。技術の道を志した時の想いは、グループ全体の開発を俯瞰する立場となった今でも決して変わらない。

米国留学で国際人として成長/JFEスチール薄板輸出部主任部員/高見朋子氏

 JFEスチールの薄板輸出部・第2薄板輸出室で米州向けの営業を担当する高見さんは数多くの海外出張をこなし商談を経験してきた国際人だ。「もともと海外志望ではなかったのですが」と謙遜するが、自ら語学学校へ通い、会社派遣で米国に留学し成長。その素養を磨いてきた。

 入社はJFE誕生直前の2002年。福山製鉄所や本社の営業総括部・生産総括室を経て、08年10月に当時の輸出営業部へ異動に。リーマン・ショックで市場が荒れ、韓国では鉄鋼の自給化が進む波乱の時期に直面した。いま担当する中南米は一転して需要が伸びる市場。海外営業の攻めも守りも担ってきた。

 13年からは語学研修を含めロサンゼルスの大学院へ1年半留学。公共政策を学び、各国政府から派遣されてくる留学生と意見を交わすことで関税や通商政策の知見も深めた。一方で「仕事を離れた時に何をやるか」を考えパーティなど社交の場へ進んで参加し、クラス役員を務め、自ずと英語力も養っていった。

 同時に留学で学んだのが、組織の意味やチームとしての機能、いかに分担をするか。今年4月には課長へと昇進したが、管理職として「以前は人を動かすのが苦手でしたが、今はいかに動いてもらうかを考えています」。中堅に差し掛かる世代としての自覚も高まっている。

 今後めざすのは「ユニークな人材」。機会が得られれば薄板以外の品種や海外赴任にも挑戦し、自身の可能性をさらに広げていく。

社内保育所の設置も/菰下鎔断社長/菰下千代美氏

 2001年2月、菰下鎔断に入社した。入社前にはパティシエを目指し、洋菓子の専門学校に通っていたが、現会長に「ケーキを切るのも、鉄を切るのも同じ」と言われ、入社を決めた。切る素材は違うが、「『ものづくり』が好き。工場で働くことは苦にならなかった」と話す。

 CADの入力などから始めて1年後、本社工場に隣接するレーザ専用工場の立ち上げに主任としてかかわった。「自分たちでメンテナンスし、設備能力を最大限発揮するのが当社のやり方。だが、レーザ加工に関しては素人ばかりの集団。試行錯誤しながら、なんとか立ち上げた」と振り返る。

 その3年後、社長に就任する。「変化に驚いた」というのが本音で、父であり、創業者でもある菰下会長に支えられ、社長業にまい進することになった。

 12年に結婚。夫も取締役として同じ会社で働いている。現在は2女の母で、今年6月には第3子を出産する予定だ。「女性が活躍する時代だが、社長業は妊娠・出産をする時期の女性には向かないかも。いま困っているのは、近隣の保育所に空きがないこと。実家が近くにあるので、面倒を見てもらっているが、保育所の少ない工業地域で女性が働くのは難しい」。

 同社はいま、本社工場のリフレッシュ更新を計画中で、その中には社内保育所をつくる案もある。「もし、周りの工場でもニーズがあれば、活用していただきたい。新たな商売になるかもと期待しています(笑)」

「自覚を持って仕事を」/新日鉄住金エンジニアリング営業本部営業総括部長/宮田美香氏

 新日鉄住金エンジニアリングで営業総括部長を務める宮田美香さんは一橋大学法学部を卒業し旧新日本製鉄へ入社。現在までエンジニアリング事業に携わり、培ったリーガルマインドを活かして法務畑を歩んできた。

 「これまで印象に残った仕事はM&A」と宮田さん。「デューデリジェンスを行い条件折衝を進める中で、売り手側の狙うラインなどストーリーを構築し喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を社内で行いました。限られた時間と人数、情報の中で白黒をつけていく、そのプロセスと確信が持てるまでのギリギリした感じが醍醐味」と。

 2014年には女性初の営業総括部長に。「特に気負いはありませんが、後輩が自分を見ている部分もあると思います。自覚を持って仕事をしたいです」と静かに語る。自身初の営業部門で「顧客やコンペティターの想い・行動にかなり目が向くようになりました」。

 新日鉄住金エンジはここ10年ほどで女性を積極的に採用。「数は力で、徐々に会社の雰囲気も変わっています」。自身は育児と仕事を続けてきたが「両方きちんとすることは非常に難しいです。自分でどこをしっかりやるか押さえることが大切。周囲の協力なしにここまでこられませんでした」。

 座右の銘はスイスの哲学者、アミエルの『人生は習慣の織物』という言葉。「子供の頃から三日坊主で、色々な日課を作ろうと心がけています」と微笑む。「小さなことから」と最初に始めたのは天気表への天気の記入で、なんと10年近く続ける。

がん克服、健康経営の先駆けに/メンテックワールド社長/小松節子氏

 2003年の売り上げ激減、社内ムードも険悪な中で「社員が次々と社を去り、気づけば新人ばかり。監査役や取締役を務めていたが、立ち上がるしかない」と決意。業務全般が滞る中で、会社を指揮するうちに、現場から社長へと望む声が高まり、創業者からバトンを受けた。大変な時期を乗り越えたからこそ「何があっても大丈夫、との自信につながっている」と振り返る。

 リーマンショック後は経営の厳しさが増したが、チャンスも舞い込んだ。スパイラルダクト事業は製造・販売のみの業態だったが、廃業した管工事業者の技術者を受け入れることで、取付け施工能力を持つ一貫体制を構築。仕事がない時期でもあったが「経済好転時に花開くと信じ、営業職と一緒に既存の取引先と新規先を重点的に回った」。現在は特注の継手類の生産が伸び、ダクト以外の金属加工への進出も視野にある。

 8年前に乳がんを発症、辛い抗がん剤や放射線治療にも耐えた。これが健康経営を考える原点となり、社員のがん検診率は県内トップクラス、女性社員と社員の配偶者のマンモグラフィーとエコー検査費用は会社が負担。「家族が病気を抱えると仕事が手に付かない。メンテ事業など工場内作業は少しの油断が労働災害を引き起こしかねず、安全対策には健康が一番」と語る。

 「女性だからと、鉄鋼やダクト製造の現業系ができないと思わない。学生時代から工業系の知識を蓄積し、ぜひ現場に進出してほしい」と願っている。

年に1回は全ての顧客訪問/菰下精密鎔断社長/菰下淑子氏

 「家業だから鉄屋になるもんだと思っていたし、職住一体の生活のなかで父の背中をずっとみてきた。継ぐことに抵抗もためらいもなかったですね」。

 2人姉妹の姉。父・光政会長(前社長)からは1度も「継いでほしい」と言われなかったが、短大を卒業後、1年半ほどのOL生活を経て入社。当時は営業専任がおらず、営業職に従事する。トラックを買ってもらい、配達がてら客先に出向いて〝顔〟を売った。

 2003年に社長となってからも客先訪問を継続。生の声を聞いて真のニーズを探り、いい製品づくりのヒントにつなげるなど経営に生かしている。「年に一回はすべてのお客様に足を運ぶ」ことを今でも実践し、現場にも頻繁に顔を出す。

 09年春に立ち上げた現工場・事務所には、女性ならではの気配りやアイデアが随所にみられるが、これも数多くの現場を歩いた経験が応用されている。

 数年前。熟練工員と営業スタッフが大量離脱し、一部ではその話に尾ひれがついて会社の屋台骨にも影響するとの噂が広まった。根も葉もない誤解話ゆえ心ある取引先との関係が揺らぐことはなかったが、それでもトップとして誤報の火消しに奔走。自ら先頭に立って「再構築」を舵取りした姿が好感され、絆をより強くしたとともに「あの一件を機に、会社も私も変わることができました」。

 いまは注文にも恵まれ、社内の雰囲気もいい。「私に彼氏がいないことを除けば絶好調!」と彼氏募集中を公言しつつ、充実した日々を送る。

ヤード管理など責任ある仕事が目標/清和サービスクレーンオペレーター/岡本彩香氏

 2009年、堺の高校を卒業し、大手鋼材流通・清和鋼業の子会社、清和サービスに入社。鋼材の大型倉庫、堺スチールセンターで入出荷業務に汗を流す。男性ばかりの鋼材倉庫で働くことに「男兄弟がいたことや父が鉄工所に勤めていたため、特に抵抗はなかった」と。「離職率が低かったことや、20年ほど先輩で男性だが、同じ高校の卒業生が入社されていた」ことが入社の決め手となった。

 現在、自身も含め5人となった女性のクレーンオペレーターの1期生でリーダー的存在。「後輩の見本となれるように」と仕事中は姿勢を正す。「動き回るのが好き」なことから現在は玉掛け作業が主な仕事だ。周囲からも「活発でさばさばしていて、現場でもよく動く」と好評。「女の子扱いではなく、男性と同じように見られるよう頑張りたい。ヤードの管理者など責任ある仕事を任されたい」と毎日意欲的に仕事に取り組んでいる。

 同僚と結婚し、14年1月に出産。「明るく毎日楽しい、働きやすい職場に戻りたかった」と15年4月に仕事に復帰した。子供の幼稚園の送り迎えなど夫と家事を分担しながら子育てにも励む。休日は「家の片づけや洗濯などたまった家事をまとめてするので、休む暇もない」と家でも多忙な日々が続いているようだ。