<復興を生きる>浪江の心象 色で表現

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「無念と怒り」(上)、「分断の線」(手前右)、「海よ」。避難後の思い入れが深い3作品と江川さん=8日、栃木県那須塩原市

◎3・11大震災/帰らぬ古里 思い続け/草木染作家 江川アイさん(77)=栃木県那須塩原市

 紫が滴るようにも、赤が湧き上がるようにも見える。二つの色が醸す緊張感。作品を「無念と怒り」と名付けた。

 草木染作家の江川アイさん(77)は2013年7月、夫の等さん(80)と栃木県那須塩原市に移り住んだ。自宅があったのは福島県浪江町。東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた。福島県内や東京都、川崎市と10カ所を転々とした末にたどり着いた。

 避難生活で常に追われるような不安感、恐怖感を抱えてきた。救ってくれたのが、草木染だった。避難先で作品を見た人が「きれい」と言ってくれた。

「草木染を続けていい、そう許してくれた気がした」。励まされ、涙が出た。

 南相馬市出身。森林管理署勤務だった等さんの仕事で浪江町に住んで約30年。50歳を過ぎてから、会社勤めの傍ら草木染に打ち込んできた。藍や桜、菜の花、野草、木の実、落ち葉。「身近な自然がこんな素晴らしい色を出すなんて」。奥深さに魅了された。

 原発事故を経て、草木染に向き合う心持ちは少し変わった。「以前は色を出す楽しみを追求していた。今は、心情や情景をどう表現できるかを大切にしている」。浪江を離れた後、自ら開いた草木染教室などを通じて同じ避難者たちと語らう中で生まれた変化だ。

 線量で土地と人が区切られることへの違和感を、柿渋と赤のマーカーで表現した「分断の線」。一方、藍が鮮やかな「海よ」は浪江町請戸の海を思い、穏やかに染め上げた。「無念と怒り」と共に思い入れの深い作品だ。

 避難先、そして現在の那須塩原市でも人々との巡り合いに恵まれてきた。ただ、浪江の風景、空の青、空気感はそこにない。車で片道3時間、原発から約8キロにある自宅はイノシシに荒らされていた。避難指示は3月31日に解除されたが、戻らないと決めた。近く取り壊す予定だ。

 14年、那須周辺に移り住んだ避難者の会「那須やまなみの会」を夫婦で立ち上げた。歳月が流れても、古里を追われた事実は決して忘れられない。一方で避難者であることを知られまいと暮らす人もいる。愚痴でもいい。何でも話せる場所にしたい。

 「避難生活を支えてくれた草木染の魅力を伝えながら、避難者の思いを表現していきたい。できることを続けていこうと思う」 (報道部・村上浩康)

 江川さんの作品展示・販売会が19~21日、栃木県那須町のコピスガーデンで開かれる。ストールやテーブルクロスなど約180点を展示し、売り上げの20%を甲状腺がん子ども基金に寄付する。午前9時半~午後4時。連絡先は江川さん0287(73)5440。

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