鉄鋼・非鉄関連業界活躍する女性群像(2)

©株式会社鉄鋼新聞社

探究心で新たな発想/洋鋼鉄社長/村上京子氏

 2人姉妹の次女。父・故村上三郎氏が創業した東洋鋼鉄に入ったのが1984年だが、それまでは大学の仏文研究室の教授秘書やコンベンション企業のスタッフとして働いた。大手商社マンと結婚し、元夫が東洋鋼鉄に転身するのに合わせて入社。以来、長く総務人事畑で、業界団体関係の仕事にも関わるなかで同業の仲間とのつきあいを広げていく。コンピュータを導入し、事務処理作業を大幅に時短・簡便化した功績や手柄は多い。

 それでも「社業を継がせる気はない」と言われていたから「鉄」のイロハや鉄鋼業の商慣習を知る機会のないまま副社長、社長になってようやくビジネスとしての薄板加工に触れることになる。いわば素人感覚だが、それゆえに「こういうもんなんです」と言われても「なんで? どうして?」と納得するまで諦めず「こういう風にできないの? こうしたらいいんじゃない?」との探究心が、かえって既成概念にとらわれない新たな発想や創意工夫のヒントにつなげていった。

 トップの指揮を執って13年目。一度決めたことでもその後の市場構造の変化に応じて抜本的に変更したり取りやめたりすることへの躊躇やこだわりはなく、テーラードブランク事業を撤退し、ファイバーレーザ複合機を導入したのはその一例だ。

 オンとオフを切り替えることで疲労とストレスを溜めず社長業に精励することを心掛ける。趣味も増え「時間が足りない」のが悩みだ。

営業で初の女性室長/日鉄住金営業総括部輸出総括室長/各務美奈子氏

 新日鉄住金の営業部門では初の女性室長。営業総括部の輸出総括室長として海外営業の全体支援とスラブ輸出を担い、調整や商談、若手社員が多い部下の指導にあたる。

 92年に入社し、初任は君津製鉄所の厚板工程管理。24時間稼働する現場で様々な事態へ対処するのに苦労したが「男気あふれる格好いいおじさん達に助けられた」。無理な納期だと断ろうとした際は「挑戦もせず何事か。何とかしてやる」と叱責されたことも。工場の人達の現場を守るというプライドとウエットな世界に触れ「新しい自分を発見した原点」と振り返る。

 その後、電磁鋼板営業部で海外営業を担当。従来は数十ドルの変動幅だった方向性電磁鋼板で200~300ドルもの大幅値上げを指示され、当時の上司からは「言うべきことを言い、それで関係が切れるなら仕方ない。責任は俺がとる」と送り出された。自身が管理職となったいま、こうした姿勢に学ぶものは多いという。

 03年に第一子、05年に第二子を授かり、各1年の産休・育休を取得。当時はまだ例が少なかったが「上司の理解に恵まれましたね」。不安な時期もあったが「男性も育児や介護といった事情は抱えている」と気づかされ、以降は「自分にやれることをやろう」と前向きな気持ちに切り替えている。

 仕事のかたわら、休日はPTA活動と子供のサッカーに連れ添う。仕事も育児も「壁をつくらずやってみると意外に面白いもの。後輩にもいろいろ挑戦してほしい」と。

研究成果「商品になり感動」/戸製鋼所アルミ板研究部材料加工研究室/阿部智子氏

 神戸製鋼のアルミ・銅事業部門真岡製造所で成形加工用のアルミ板材や缶材の研究に打ち込む阿部さん。学生時代から材料工学を学び、07年の入社後、一貫して真岡で過ごしてきた。

 研究の仕事は地道な材料評価の繰り返し。成分や工程を変え、造った多様なパターンのアルミ板を機械や評価装置で調べていく。とは言え、そう簡単にブレークスルーしないのが研究の世界。良い結果が出なくとも「モチベーションを保ち続け、常に新しいことを試すよう心掛けています」。そのために大切にしているのが情報収集。「同じ人とばかり話していても発想は変わらない」と、学会へ足を運ぶなどし、視野を広げるよう努めている。これまで幾つか実現した研究成果が「商品となり店頭に並んだ時はうれしかったですね」と笑みをこぼす。

 3年前に出産、1年間の産休を経て同じ職場に復帰した。研究職という特性上、周囲とコミュニケーションをとりながら自分のペースで仕事を進められる面があり、真岡の保育環境も比較的恵まれてはいるが、子供が急な病気にかかった時の病児保育にはやはり頭を悩ませるという。その育児で心掛けているのは無理をしないこと。最近は会話ができるようになり、保育園から苗をもらってきたチューリップが真っ赤な花を咲かせた時は、その感動を子供と共有した。

 今後も研究者として「何を求められているか考え、それに回答を出し信頼を得ていきたい」と話す。後輩が増える中で「前向きに取り組めるよう後押ししたい」。

金属屋根一筋、チームワーク重視/JFE鋼板住宅建材営業部営業室/浅井真理子氏

 JFE鋼板が新たな視点で製品のプロデュースやコンセプトを考案しようと、昨年夏に女性5人で発足した「なでしこプロジェクトチーム」のリーダーを務める。グループ企業で旧川崎製鉄子会社の川鉄ルーフテックに入社した2001年から非住宅部門の金属屋根の積算・設計・施工に関連する業務全般に携わり、現在はJFE鋼板の住宅建材営業部で大手ハウスメーカーの担当として社内外の橋渡し役を担う。

 生家の近くに祖父が営む桶(おけ)づくりの会社があり、職人の技を見て育った。「ものづくりに携わりたい」―。おぼろげな幼少期の思い出が、やがて高校卒業後の進路を描くきっかけとなり、短大では建築の住環境を専攻。より実践的なスキルを身につけたいと工学系の専門学校で建築の構造設計を学んだ。

 学生時代にはバスケットボールに打ち込み、チームワークの大切さを肌身で知る浅井さん。入社後間もなく立ち会った大型案件では、上司や先輩が厳しさの増す現場に出向き、総力戦で助け合う光景を目の当たりにした。

 以来、職場では「相手の立場になってあらゆる物事をとらえていけるよう、実際にまず自分も一緒にやってみる」ことを心がけ、後進の指導にも視線を送る。

多様な人材活躍できる環境を/三菱マテリアル中央研究所企画部技術主幹研究管理チームリーダー/足立美紀氏

 大学時代から研究が好きで、就職も「研究員になれる会社」で決めた。入社後は中央研究所の粉末冶金研究部に初の女性研究員として配属され、約15年間にわたって研究開発業務に従事。企画部に異動後は研究テーマ管理や資料整備など研究員が研究に専念できる環境整備に勤しんでいる。技術職ならではの視点と女性らしいきめ細やかな仕事ぶりが足立さんの強み。仕事で喜びを感じるのは「研究所として良い成果が出ること」だそうだ。

 13年には平成以降入社で初の女性課長職に昇格。同社が15年に発足させた「女性活躍推進委員会」ではリーダーも務めた。「全社的な取り組みなので打診を受けてびっくりしたが、私がやらなければと思った」と振り返る。活動を通して「自分とは違った視点に気付けたし、社内の様々な文化を改めて学ぶ良い機会になった」と。

 15年11月からは本社の人事部多様化推進グループも兼任し、多様な人材が活躍できる環境整備にも力を注ぐ。「まずは女性に絞って活動が始まったが、これは全社員が働きやすい職場を作るための一環。まだ取り組みは始まったばかり」と気を引き締める。「女性も仕事にやりがいを感じ、長く働き続けたいと思える会社にすること」も目標の一つだ。

 家庭では2人の子どもの良きお母さん。仕事と家庭の両立では「やはり時間のやりくりが苦労する点」と話す。「この春まで2人とも受験生で大変だったが、それが終わって少しほっとした」とも。

異色の経験生かし職場づくり/住友商事鋼板本部長付/宮尾扶仁子氏

 14年から、東京本社で住友商事グローバルメタルズの人事担当を務めている。社におけるキャリアは、住友商事グループ全体の歴史の中でも異色だ。事務職として入社したが、鉄鋼部門での線材特殊鋼トレードのアシスタント業務を経験した入社9年目、基幹職への転換を強く希望。折しも男女雇用機会均等法が改正された直後の00年、同社の鉄鋼部門からは初めてという事務職からの職掌転換を果たした。

 阪神大震災が契機だった。「神戸製鋼の製鉄所が被災し、同社の顧客に材料を提供するプロジェクトに参画したのをきっかけに、仕事に対する意識が大きく変わりました」。07年に管理職へ昇格すると、同年、13人の部下を持つチームリーダーへ。「もともと人とのふれあいが大好き」という性格も手伝い、体当たりでビジネスチャンスを開拓していく。

 韓国で線材事業を担当した際には、ウォン安の影響を受けて資金繰りに苦しんでいた現地の加工メーカーに対し「助けなきゃ」の一心で材料を提供したことも。「優良な会社で、ここで助ければ必ず立ち直り、力になってくれると思った」。その読みは見事に当たった。今では印象深い思い出、と振り返る。

 人事担当となった今では社員のさまざまな相談相手も務め、培ってきたノウハウを社内に還元するつもりだ。「人に寄り添い、真摯に対話してきた経験を役立てていけたら。明るく魅力的な職場づくりに貢献したい」

後輩社員の刺激になる存在に/田中鉄鋼販売常務取締役/君崎由美子氏

 27年前、友人が偶然見つけてきた求人が縁で入社。土浦支店(入社当時は工場)で、経理、受付、在庫管理、配車手配、仕入れなどの業務を一通り経験した。税理士事務所勤務の経験もあり、数字にはめっぽう強い。

 3年前の5月、同社初の女性取締役として土浦支店長に就任。昨年5月に常務となり、土浦と浦安両支店を管轄する。毎朝5時半に起床し、家事を一通りこなして出社するサイクルを今も続けている。

 端材や長期滞留在庫品を格安販売する「アウトレット鋼材ブース」や一般紙への折込広告など、女性視点・主婦感覚からのアイデア商売には、創業者の田中徳右エ門相談役、石塚公夫相談役も一目置く。

 「土浦支店長時代の三村正社長の仕事ぶりを見て〝この会社で頑張ろう〟と思った」と言う。「三村社長は田中・石塚両相談役の良いところを踏襲している。両相談役は私にとって親も同然。お世話になった恩返しを」と。新人時代に面倒を見てもらった窪田直敏常務(故人)が書き留めていた業務メモは、今も浦安支店長席の引き出しに。君崎常務にとっては大切な「お守り」になっている。

 現在、係長や主任の役職に就く女性が5人いる。「私自身が頑張ることで皆に刺激を与えることができれば。〝角形鋼管品揃えナンバー1〟に向けて、私も勉強中」と抱負を語る。

 毎日現場、倉庫に顔を出す。忙しい合間に週2、3回のエアロビでリフレッシュ。最近では密かにゴルフの練習を始めたそうだ。

10年先見据え、海外展開に挑戦を

/大成興業取締役営業第2部部長/滝村美恵子氏

 大学卒業後、鉄鋼商社に勤務した。貿易事務に携わるうちに「ダイナミックな輸入鋼材の仕入れを担いたい」と、貿易商社の同社への入社を決めた。

 入社後は薄板の営業マンとして働き、出産、その後の育児休暇を経て、子育てと仕事を両立する生活となった。「会社、そして同僚の理解に本当に恵まれた。ただ、子供には寂しい思いをさせたかもしれない。何十年後かには『あの時、どう思っていたか』と聞いてみたい。ちょっと怖いですが(笑)」。

 11年に部長に昇進。「当時は人の意見をできるかぎり聞いた。ただ、それは自信がなかったからかもしれない」と、当時の心境を振り返る。14年には同社初の女性取締役に就任し、同社の薄板営業を管掌する立場になった。

 昨年は、神戸大学大学院でMBAを取得。ファイナンスを勉強するため、通い始めた。「毎週2~3つのレポートを抱えながら」仕事をする生活だったが、本当の問題意識はマーケティングにあると確信し、修士論文のテーマは「中小生産財企業における顧客の海外戦略への適応システム」に。「これまで短期で仕事を考えていたが、これからは10年先を見据え、海外展開など新たな仕事に挑戦したい」。

 鉄鋼業にかかわり、30年あまりが過ぎた。「業界でご自身を『鉄屋』という方がいるが、この言い方は好きだ。鉄鋼業界で生きているというプライドを感じる。これからも鉄屋の一員として活躍し続けていきたい」

あなたにおすすめ