【書評】「愛を与える側にならなければ」共に危うい24歳──姫乃たまが読む紗倉まな初の長編小説『凸凹』

画像『凹凸』(KADOKAWA)

 大人っぽいというわけではないのですが、子どもらしからぬところがあった子どもの頃の私は、早く大人になりたいと思っていました。30代ってあまり面白くなさそう、20代なんてもっと想像がつかないと思っていたのです。そしていま私は24歳で、『凹凸』(KADOKAWA)の主人公・栞(と著者の紗倉まなさん)と同い年です。24歳なんて一番どうしようもないと思っていました。偶然地下アイドルという特殊な仕事に就いたので辛うじてハレとケがありますが、そうでなければ、本当に気怠くて仕方のない生活だったろうと思います。

 随分年上の恋人とアパートに住んで、アルバイトに行ったり行かなかったり、妊娠しても母親になれる気がしなくて堕ろしてしまったりする栞の生活は、紗倉さん自身が「もしAV女優や小説家の仕事をしていなかったら」を想像して書かれたそうです。実際にこのような生活を送るか送らないかはさておき、いまの仕事をしていない自分をこういう風に想像する感覚には、共感するところがあります。

 私の“子どもらしからぬところ”というのは、つまり無邪気でないことで、不安がつきまとって離れないのは、自分が子どもであるせいだと考えていたのです。20代の想像がつかなかったり、30代に希望を見出せなかったりしたのは、自分がもしかしたらまだ子どものままかもしれないと恐怖していたからです。

 そして案の定、私は大人になりきれないまま大人になりました。成人しても不安なことはいくらでもあって、そういう時のために読まずにとっておいた『よつばと!』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)という漫画に手をつけます。『よつばと!』は、父子家庭で育つ5才の娘・よつばの日常を描いた作品です。調子のいい時に読むと愉快で安心するのですが、調子が悪い時に読むと、よつばが子どもらしい振る舞いをするたびに周囲の人間に愛想を尽かされないか不安になるので、自分の精神状態をはかるためにも手元に置いていました。私も幼少期の栞も、よつばのような底抜けの明るさは持ち合わせていません。

 先日またつらい日々があって、とうとう『よつばと!』の最新刊(13巻)に手を伸ばしました。読みながら泣いて、閉じてから泣いて、シャワーを浴びながら泣いて、タオルで拭いている時もまだ泣いていて、洗面台で目が合った自分の顔は、それこそ子どもに戻ったように泣きはらしていました。精神状態をはかるといっても、さすがにこれまで泣いたことはありません。一体何がそこまで私を刺激したのか。

 一方で『凹凸』は、思春期に父親が家からいなくなって、母子家庭で育った子どもらしからぬ子どもの栞が、成人して恋人と付き合うようになってから彼に父親を重ね合わせている自分に気が付く話です。

 私は年上の男性が好きなのですが、そういった話になると、「お父さんに愛されなかったの?」あるいは、「お父さんとすごく仲良いでしょう」ということを必ず言われます。女性が恋人に父親を重ね合わせるなんてことはいくらでも言われていて、私自身もよくわからないというか、肯定も否定もできるので、ここでは言及しません。さらに示し合わせたように栞の父親が私の実父と同じ名前だったので、ここはますます意地になって(笑)……というのは嘘ですが、今回は大事なことがほかにあるので、それはまたの機会にします。

■『よつばと!』に持ち込まれた“母性”が教えてくれたこと

『よつばと!』の話に戻ります。よつばの家に登場するのは、主に父親と、父親の友人であるふたりの男性です。父親とふたりの暮らしには、どこか男性同士の先輩と後輩が一緒に暮らしているような楽しさが見られます。初めての自転車やお祭りや、なんでもない1日に、誰もがいつか経験したことのある日常のきらめきが散りばめられていて、いつまでも幼少期の世界にいられるような安心感が作品の魅力です。

 しかし最新刊では、よつばの祖母(父親の母親)が家にやって来ます。よつばの家に突然、不在だった母性が現われたのです。これまでの生活も充分に楽しかったけれど、厳しくて優しい祖母は、靴を揃えることや本格的な掃除や、きちんとすることの気持ちよさをよつばに教えます。そして祖母が帰ってしまう日、初日はお土産が欲しくて子どもらしい傍若無人さで騒ぎ立てていたよつばが、「おみやげなんかなくてもいい(から帰らないで)」と祖母に泣きつくのです。よつばは祖母と過ごした数日の間に、掃除ができるようになって、いくつかの鳥の名前と、おりがみの折り方を覚えました。いつの間にか後輩の男の子のような雰囲気も少し削がれて、祖母が買ってくれた可愛い服に喜び、“きゃりーぱむぱむ”の曲を歌って見せるようになりました。

 永遠に続くと思われていた幼少期の世界が、突然私がいる現実に近づいてきたのです。

 いつまで『よつばと!』の話をしているのだと思われるかもしれませんが、『凹凸』に描かれている不安と葛藤は、『よつばと!』の13巻から受け取った感覚と酷似していました。そもそもずっと、私はよつばの天真爛漫さを楽しみに読んでいると思っていたのですが、13巻を読んだことによって、よつばに感情移入して読んでいた自分に気が付いたのです。

 よつばは来年、小学校に入学します。彼女の子どもらしい傍若無人な振る舞いを誰もが笑って見守って、絶対的に愛してくれる世界から社会へと出て行きます。そしてそんな時期からはとっくに離れて24歳という年齢になってしまった私と栞。自分のことを絶対に嫌いにならない人から愛されることの難しさ(不可能さ)、誰かに命令されたり何かを教えてもらったりすることへの、少し不満が入り混じった面白さと安心感。大人になりきれないどころか、幼少期の頃にはあったはずのそれらが、あらかた失われていることをやっと認めて涙しているのが現状です。24歳に待っていたのは、大人の赤ちゃんがえりでした。

 そろそろ自分が愛も安心も与える側にならなければいけないのに、『凹凸』では栞も、自分が母親になれるのかどうか戸惑い葛藤しています。

「母親になれる人となれない人の間には必ず明確な線引きがあり、それは誰もが認めざるをえない事実のひとつだと思う。」(『凹凸』本文より)

 恋人はいつまでも自分を愛してくれるだろうか。父親は本当に私を愛していただろうか。子どもを愛せるのだろうか。私は母親になれるのだろうか。母親になることが必ずしも大人になることではないけれど、母親になれないと思っている人は、大人への境界線がさらに曖昧になります。そのように苦悩する時、愛についての確信は持てなくても、自分に一番関心があったはずの男性(父親)を思い出すのは自然なことではないでしょうか。それは恋人と重ね合わせているとも言えるし、やはりそうでないとも言えます。大人になりきれていない24歳は、子どもではないし、ひたすらままならないのです。

 他人の欲求を満たすために働いている人は、他人の寂しさには敏感でも、自分の欲求には割と鈍感なように思います。何よりも『凹凸』には、女性の葛藤はもちろん、父親のエピソードを通して、大人の男性の脆く追い詰められた悲痛さが描かれていました。地下アイドルをしていてもそうですが、紗倉さんも仕事を通じて、男性たちが世間で思われているよりも追い詰められていることを感じ取っていたのかもしれません。また、自分の欲求に鈍感だからこそ、不安や不満に気が付いた時に、溢れるように『凹凸』は生まれたのだと思います。

●姫乃たま(ひめの・たま)
1993年2月12日、下北沢生まれの地下アイドル/ライター。アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。16才よりフリーランスで地下アイドル活動を始め、ライブイベントへの出演を中心に、文筆業も営む。そのほか司会、DJとしても活動。音楽作品に『First Order』『僕とジョルジュ』、著書に『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)がある。7インチレコード「恋のすゝめ」「おんぶにダッコちゃん」をリリース。
★Twitter<https://twitter.com/himeeeno

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