鉄鋼・非鉄関連業界活躍する女性群像(3)

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〝三足のわらじ〟で博士号取得/YKK工機技術本部金型・機械部品グループシニアエンジニア/見角裕子氏

 YKK工機技術本部では、同社のファスニング事業・AP(建材)事業における製品や金型専用の材料や製造機械を開発・製造し、国内外のYKKグループ各工場に供給している。

 その中でも世界71の国と地域で展開するファスニング事業で使われる金型の材料開発を手掛ける。長寿命で高耐久な金型を実現するための金属材料の開発だ。「改良を重ね長寿命化が実証できたときがうれしい」と微笑む。

 入社7年目に育児休業を取得。復帰後は、女性の活躍推進を目指した社内プロジェクトに参画したり、原理原則を追究するため大学院の博士課程へ進学するなど活動の幅が大きく広がった。

 働きながら子育てと社会人ドクターを目指す学生の〝三足のわらじ〟は苦労も多かったが、家族や周囲のサポートをはじめ働き方も工夫しながら2016年3月に博士号を取得。

 同年10月からは金沢大学大学院の客員准教授に就任。今後は同大学とYKKの産学連携講座で次世代を担う技術者の育成にも携わっていく。

 「若い技術者の皆さんには、私や誰かの後を追わずとも、自分なりの手法を持って高い目標に挑戦してほしい。そういう人が増えればYKKの技術力の底上げにつながる」とエールを送る。社員が個性を生かし自律的に成長する「森林」のような組織を目指した創業者・故吉田忠雄氏の理念が、企業文化としてしっかり根付いている。

信頼築き営業に駆け回る/日鉄住金建材大阪支店床営業室長/前田良子氏

 大学卒業後、縁あって日鉄建材工業(現日鉄住金建材)に入社。当時は女性の総合職という職制がなく事務職として入るが「入ってからが勝負。事務職の枠にとらわれず仕事の領域を広げたい」と心に決めていた。入社2年目に床商品技術室に配属となり、CADでデッキの図面を描く日々が続いた。

 転機が訪れたのは、27歳の時。仕事が終わってから建築の専門学校に通い2級建築士、翌年には1級建築施工管理技士の資格を取得した。この専門学校で夫と出会い結婚。29歳で産休を取得し長女を出産する。この産休の時も勉強に励み、1級土木施工管理技士も取得。「この時が一生で一番勉強したが、やりがいがあった」と振り返る。

 産休明けに、床営業室に復帰。明細のインプットやデリバリー管理を任され「客先とのやり取りが増え、信頼関係が築けた。この時の経験がのちの営業職に役立った」との思い。39歳で総合職となり営業を担当。13年には現在の床営業室長に就いた。「自分の能力を発揮できる場があれば、さらに前進していきたい」と同社の女性総合職のトップランナーとして走り続けている。

 床製品の営業は、ゼネコン・施工店・ファブリケーター・商社・特約店の間を駆け回り忙しいが「資格があるので、どこへ行っても営業担当として扱ってもらえる」とし、むしろ「女性なので困り事があると相談しやすいのでは」と。頼りがいのある人だ。

決めたらすぐ実行、前へ/富岡鉄工所専務/冨岡フジ子氏

 新潟県鉄骨工業組合の初の女性部長に就任。「少しでも後継者問題、事業承継のお役に立ちたい」と婚活イベントを企画。マッチングパーティーを運営する企業と連携し、鉄工所の若手を紹介。早速、親御さんに挨拶に伺うという所まで話が進んでいる参加者も。

 モットーは「決めたらすぐ実行。とにかく前に進む」。

 「一歩踏み出し、色々な人と出会う。鉄工所の嫁に来たからには潰してはいけないとの信念でやってきた。困難を打開したのは正直、素直、人と話すこと」と明快に話す。

 新発田法人会の女性部長も務める。子供食堂で紙芝居を読んだり、学校に出向いて分かりやすく税の意味を説明する。交通安全ボランティアにも立つ。異業種交流会・新潟県中小企業同友会では女性部を立ち上げた。「まさに立ち上げの女」を自認。これからは後進の育成を担う。

 入社し47年が経過。3月末の決算前に設備更新を終えたその足で娘の嫁ぎ先、横浜へドライブ。孫と一緒にライオンキングを観劇し、リフレッシュした。

 鉄骨組合女性部では安全管理に注力。全国鉄構工業協会のヒヤリハット事例を1冊にまとめ新年会で勉強会を行った。「大事なお子さんをお預かりする以上、災害が起きる前に私たちが母の立場で勉強することが第一」。朝早く現場へ行く社員には早出して見送り、現場へは缶コーヒーとチョコを差し入れする。気づき、人を喜ばせることが好きだという。

「いい社員に恵まれて」/植木鋼材社長/植木揚子氏

 植木家三人姉妹の長女。もともと家業を継ぐ意思はなく、短大卒業後は幼稚園の先生をしていた。

 紆余曲折ののち、平成2年4月に父・政行氏(現会長)が創業した植木鋼材に入社し、主に経理面を担当した。はじめは「自分が後継者になるなんて想像もしていなかった」が、その一方で「オーナー企業で私以外に誰が父の後を継ぐの?」という漠然とした〝使命感〟もちらつき、その思いは徐々に強くなった。

 そして平成24年10月。時期社長としての白羽の矢が立った。

 以来、両親と娘の〝3人4脚〟で、宇都宮発のスピーディできめ細かい商売を展開。ステンレスや非鉄金属も含めた豊富な品揃えと複合一貫加工体制を武器に「うちに頼んでいただければ部品に仕上げてお届けし、あとはお客様がそれをセットして組み立てるだけ」という付加価値サービスの提供を目指す。経営コンセプトに「協力企業ともタイアップした北関東一の加工拠点」を掲げた。

 「いい社員に恵まれている」が口癖。社長になって5年近くが経ち「社員を温かく見守り、夢や希望を与えつつ、やりがいを持って日々働いてもらう環境づくりに精励したい。そして会社を守り、社員とその家族も含めて守るのが私の仕事」との自覚を強くする。

 家に帰れば「小久保揚子」に戻り、夫婦が互いを「よき理解者、よきパートナー」と認め合う間柄だとか。オンとオフをしっかり切り替えることで仕事と家庭をうまく両立する。

「新しいものを作りたい」/新日鉄住金君津製鉄所エネルギー工場水道課/石井沙矢花氏

 幅広い品種を生産する新日鉄住金・君津製鉄所。多々ある工場へ水をくまなく供給し、回収して再利用する―。あらゆる生産のライフラインを担うのが石井さんの職場だ。

 工業用水は千葉県工業用水道より受水し、所内にある6万立方メートルもの貯水池を経て各工場へと給水する。工場給水に関しては製品品質にも影響するため、常に水質を確認し水処理薬品の注入管理を行う。これによって、水質障害によるトラブルを未然に防止し全所の安定操業を支えている。

 一方、製鉄所で使われる水の9割強は浄化しリサイクルしており、これを担う省エネ部隊でもある。「大きな製鉄所が自分たちの水で成り立っている。そう自負を持って取り組んでいます」。その石井さんを、大和裕二係長は責任感が強いと評する。1年間の産休に入る際は「自分がいなくても大丈夫なように」と、しっかりしたマニュアルを作ってくれたという。日々の仕事にも意欲的で「まだまだベテランの方から学ばないと。排水の水質管理も大切ですから、環境に関する知識も増やしたい」と今後の目標を見据えている。

 仕事にひたむきな石井さんも、家庭では小学一年生と三歳児の母。帰りの車中では「穏やかな歌を聴いて母性を取り戻すようにしています」と微笑む。育児のステージが小学校へと広がり考えることは増えたが「後輩の女性社員に子供がいても安心して働ける姿を示したい」。石井さんの父親も新日鉄住金人で上総育ちだけに「地元出身ならではの相談にも乗れれば」と。

周囲の理解に感謝、仕事で恩返し/伊藤忠丸紅鉄鋼鋼管本部鋼管貿易第二部油井管第一課/大西絢子氏

 外資系船会社での勤務を経て08年に入社。「日本の産業や社会に貢献できる仕事を」と考えたのがきっかけだった。小学生時代にフランスに住んでいたこともあって「いつかまた海外に」との思いも後押ししたようだ。

 入社以来油井管の営業畑。現在は北中南米地域を担当している。15年2月に出産。昨年5月に復帰した。現在は朝9時15分~夕方4時までの時短勤務で、子育てのかたわら忙しい日々を送る。新人時代、教育を担当していた新日鉄OBのエンジニアから〝鉄〟と石油掘削技術の基礎を学んだ。「情熱を持って教えてもらった。知らないことを学ぶ楽しさを教えてもらった」と。当時の資料は今でも時々見返すという。

 自社の育児支援制度について「最近充実してきた、恵まれている」と話す。2カ月に一度社内で行う「ママ会」も、貴重な情報交換の場となっている。一方で「制度にあぐらをかいていると思われないよう時短勤務の制約がある中、与えられた仕事に責任を持って取り組んでいるが社内と取引先の皆さん、家族の協力があるからこそ」と語る。

 気持ちにも変化があった。「以前あった『申し訳ない』という気持ちを最近は感謝に変えようと考えている。いつか仕事で恩返ししていきたい」と。「いつかは子どもを連れて海外駐在を」と夢も膨らむ。仕事帰り、子どもを保育園に迎えに行ったときに満面の笑みで駆けてくる娘の姿を見ると、1日の疲れも吹き飛んでしまうそうだ。

切板出荷、子供送り出す気持ちに/小谷鋼業管理部/前波里香氏

 20代の頃、派遣社員として、小谷鋼業に3年間勤務した。自身に鉄鋼業への特別な思いがあったわけではなかったが、「鉄工所を経営していた父が就職を喜んでくれた」という。 

 その後、同僚で研修生だったインドネシア人と結婚。退職し、2男1女の母となる。末っ子の次男が生まれた年、社長からの誘いで再び働くことに。

 「社会に出てまだまだ勉強がしたい」との思いから再就職を決めた。同社で子育てをしながら働く女性は前波さんが初めて。「職場の理解と関係者皆様のおかげ」でこれまで続けられたという。世間一般の働くお母さんとして、家庭と仕事の両立には難しさもあり「末っ子が初めて歩く姿を見られなかった」と、悔しい思い出も残る。

 現在は同社管理部に所属。「お客様との納期の打合せや材料管理など、四苦八苦しながら」営業マンとして働く。「営業の難しさに悩みながらの日々ですが、人とのお話しは大好き」と、外交的な性格を生かし営業活動に励んでいる。

 同社の営業など事務スタッフ6人はすべて女性。小谷社長は「優秀な人を採用していたら、すべて女性だった」という。

 「出荷される切板を見るたび、子供を送り出す気持ちになる。この仕事は自分の仕事が形になって残るのが魅力。礎の一部に携われる喜びの気持ちはいつまでも変わらない。子育てと仕事の両立はまだ続きますが、前向きに楽しむことを大事にしたい」

上司・先輩の支えで日々研さん/鉄建製造部梁溶接グループ/浦部安寿氏

 2年前に工場勤務では初の女性社員として入社。鉄骨ファブリケーター業界でも珍しい女性溶接技能者として、鉄骨部材と日々向き合っている。

 地元の工業高校では電子情報を学んだが、機械科の教員の勧めもあり関心を持った溶接技術を課外で習得。県主催の学生溶接技術競技大会にも出場したが「本番で日ごろの成果を発揮できず、終了後に泣いてしまった」。それでも溶接への思いは日増しに募り、本格的に学ぶため県立高崎産業技術専門校の門戸をたたいた。専門校で溶接を学ぶ女性は自分一人。「疲れるし、汚れるし、やけどなどのけがと隣り合わせ」だったが、2年時には科内選抜を経て技術大会の社会人部門に出場。「レベルは高かったがいい経験になった」と振り返る。

 入社のきっかけは専門校の恩師の紹介。周囲からは「女性には無理」と反対されたが、思いを捨てきれなかった。何度も鉄建へ足を運んで現場を見学。「若い人も年配者も格好いいな」と改めて溶接の魅力を感じ、進路を決めた。

 それでも男社会で働くことに不安もあったが、現場に入ってからは上司や先輩に支えられながら日々技術を研さん。空調のない工場で過酷な夏場も乗り越えてきた。来年度の検定試験合格を目標に据える。

 この4月からは荻野仁衣奈さんが〝鉄骨女子〟の後輩として入社。「ちょっとでも頼りにされるといいな」と、後進指導に熱を込める。