写真で見る 非鉄金属業の70年(1940年代~1960年代)戦災から復興・高度成長支える(1)

©株式会社鉄鋼新聞社

 1940年代に戦災から復興した日本の非鉄金属産業は50年代の朝鮮戦争による特需景気や、その後の高度成長に合せて順調に発展した。建設工事や電力・通信インフラの整備に欠かせない素材の担い手として、日本経済に貢献。40~60年代には急ピッチな需要の増加に対応した新拠点開設など、大型の設備投資が目立った。また事業の成長と併せて技術力も向上。銅製錬やアルミ圧延では海外からの技術導入が進んだ。戦後から始まった拡大の流れは、70年代に起きるオイルショックまで続いていく。

非鉄金属産業が復興、工場再建・生産再開進む/1945年~

 1945年に終結した太平洋戦争は非鉄金属産業にも大きな爪痕を残した。空襲による戦災や原料の調達難などから事業に大きな影響が出た社もあったが、40年代から復興に向けた歩みが着実に進んだ。

 電線では藤倉電線(現フジクラ)が東京大空襲で焼失した深川工場を45年に再建。住友電工では大阪製作所が被災したが戦後いち早く復興した。伸銅品では権田金属工業が損壊した工場を47年に再操業。アルミ製錬では日本軽金属がボーキサイト輸入再開を受けて48年に蒲原工場を再稼働させた。

東京伸銅品問屋組合が発足/1947年

 1947年、東京地区に店を構える仲間問屋によって立ち上げられた「東京伸銅品問屋組合」。戦争の傷跡が残る中で、流通業界の地位向上や団結を目的に組織化され、82年に266社の組合員により「東京都伸銅品商業組合」として法人化され現在に至っている。

 70年の歴史の中で、製品の軽薄短小化や即納要求の加速、加工品需要の拡大など伸銅品流通を取り巻く環境は大きく変化してきた。こうした環境変化に柔軟に対応してきた約130社が現在加盟し、業界の発展に向けて力を合わせている。

アルミ圧延大手、欧米大手との提携相次ぐ/1952年~

 国内のアルミ圧延メーカーは1950~60年代、競争力強化に向けて高い技術力を持つ欧米系メーカーと相次いで資本・技術提携を結んだ。

 52年に日本軽金属と加アルキャン社が資本提携し、57年には昭和電工が仏ペシネーから技術導入、古河電工は米アルコアと59年に合弁を設立した。60年代に入ってからは神戸製鋼所が加アルキャンから圧延技術を導入。三菱レイノルズアルミ(現三菱アルミニウム)が設立されたほか、昭和アルミニウム(現昭和電工)とスカイアルミが米カイザーから技術導入している。

日本チタン産業の勃興/1952年~

 1952年に現在の大阪チタニウムテクノロジーズが国内で初めてスポンジチタンの工業生産に成功し、53年には東邦チタニウムも創業した。

 工業生産直後は販売に苦戦したという。その後、朝鮮戦争を経て米国の航空機産業向け需要が高まったのを機に事業が軌道に乗り、航空機向け輸出という現在のビジネスの礎を築いた。一方、板や棒などの展伸材は神戸製鋼所、住友金属工業(現新日鉄住金)が54年に工業生産を開始し、戦後発展した国内の化学工業向けを中心に生産を伸ばした。

古河鉱業が自溶炉方式の製錬法を確立/1956年

 1954年に古河鉱業(現古河機械金属)がフィンランドのオウトクンプ社から銅の自溶製錬技術を足尾製錬所に導入、これに独自の改良を加えて56年に画期的な自溶製錬法を確立した。製錬コストの大幅な低減や亜硫酸ガスの完全回収、効率的な硫酸製造などを可能とする技術で、世界で初めて商業的に自溶製錬法を実用化した例となった。その後、同技術は国内外の多くの製錬所に導入され、現在も世界的に主流の銅製錬法となっている。

住宅用アルミサッシの生産が本格化/1961年~

 1960年代には現在の大手非鉄建材メーカーが相次いで住宅用アルミニウムサッシの製造を始めた。1961年には不二サツシ工業(現不二サッシ)が「片引きFK」の販売を開始。65年には三協アルミニウム工業(現三協立山)が参入した。また66年には日本建具工業(現LIXILグループ)と吉田工業(現YKK)が住宅用アルミサッシの事業をスタートさせている。軽くさびにくいほか、高い加工性が評価されて急速に普及。日本の住まいを支えてきた。

電線大手が大規模拠点開設、経済成長での需要増に対応/1960年代

 経済成長に伴ってインフラ整備に用いるケーブルの需要が拡大。大手電線メーカーでは高まるニーズに対応するため、1960年代に入り現在も国内の主力拠点となっている大規模事業所を相次いで建設した。

 古河電工では61年に通信ケーブルを製造する千葉電線製造所を開設。住友電工でも同年通信ケーブルの横浜製作所を設けた。また藤倉電線(現フジクラ)では65年に佐倉工場を本格稼働。各拠点とも開設後、生産増強や製造品目の拡大を進め今日まで事業の発展を支えてきた。

日本初の臨海型共同製錬「小名浜製錬」が誕生/1963年

 日本の高度経済成長で非鉄金属需要も急激に拡大した。これに対し国内資源だけでは需要を満たせず原料鉱石の輸入量が増加。製錬所も「内陸鉱山付属型」から輸入鉱石を主原料とする「臨海型大型共同製錬所」に軸足が移っていった。こうした中、1963年に三菱金属鉱業(現三菱マテリアル)を中心に、同和鉱業(現DOWAホールディングス)、古河電工、古河鉱業(現古河機械金属)などの出資で国内初の共同銅製錬会社「小名浜製錬」が発足。当時としては国内トップクラスの生産能力の製錬所として65年から稼働した。

太平洋横断の電話ケーブルが運用開始/1964年

 国際通信の需要増に対応するため世界初の太平洋横断電話ケーブルである第一太平洋横断ケーブルの運用が1964年に開始された。日本からグアムを経てハワイまでの約1万㌔㍍に渡って通信ケーブルを敷設。

 KDD(現KDDI)や米AT&Tなどのプロジェクト。日本の電線メーカーとしては古河電工と住友電工、藤倉電線(現フジクラ)が共同出資で設立した大洋海底電線(現OCC)が製造を担った。開通後には当時の池田勇人首相と米リンドン・ジョンソン大統領による記念国際通話が行われた。

〝アルミ業界の合弁〟軽金属押出開発が設立/1969年

 アルミ押出材需要が右肩上がりだった高度経済成長期の後期、国内押出メーカーによる過度の設備投資を避けるため、1969年にアルミ製錬5社・圧延7社の合計12社によって共同で軽金属押出開発(KOK)が設立された。

 国内最大の9500㌧複動式押出機を保有し、出資会社である圧延大手が自社製造できない新幹線車両材や自動車材、LNG輸送船材などの大型品を受託製造している。

 設立から50年近くが経過するが、足元はフル生産体制が継続。需要を満たすべく、生産効率化の取り組みを積極化している。