写真で見る 非鉄金属業の70年(1970年代~1990年代)国際化が加速・新領域の開拓進む(2)

©株式会社鉄鋼新聞社

 1970年代から日本の非鉄金属産業は転換点を迎える。70~90年代にかけてエネルギーコストの上昇やユーザーの海外展開などの環境変化に合わせ資源開発や製錬、製品で幅広くグローバル化が進展。さらにアルミ圧延や電線、リサイクルなどでは素材特性や技術力を生かした新たな領域の開拓が加速した。当時は新分野だったアルミの飲料缶材や光ケーブル、廃電線リサイクルのナゲット加工などは現在までに業界の基盤を支える屋台骨に育っている。

海外アルミ製錬プロジェクトが本格化、国内企業が出資し地金調達/1970年代

 海外でアルミの開発輸入を手掛けるプロジェクトは1969年のアルミニウムスメルターズ社によるニュージーランドのアルミ製錬(昭和電工が出資)から始まり、70年代から本格化。電力コスト増の影響で国内アルミ製錬業が撤退を余儀なくされる中、アサハンアルミのイナルム(インドネシア)、アマゾンアルミのアルブラス(ブラジル)と政府資金を投入した国家プロジェクトも開始された。

 その後、日本企業参画による事業は2010年に住友商事が出資したサラワク(インドネシア)まで続くことになる。

光ケーブルの開発進展、通信大容量化に貢献/1970年代

 情報通信の大容量化が求められるなか1970年代に電線大手は光ファイバケーブルの開発を本格化した。古河電工は74年に信号伝送のフィールド試験に成功。住友電工は75年に東京電力や日本電気と開発した光ケーブルを試験敷設した。

 さらに77年には古河電工と住友電工、藤倉電線(現フジクラ)の電線大手3社が日本電信電話公社(現日本電信電話)と共同で光ファイバを効率生産できるVAD(気相軸付け)法を開発。その後光ケーブルが情報通信向けの主流となった。

オールアルミ缶ビールが登場/1971年

 1971年、アサヒビールから日本初のオールアルミ缶ビールが発売された。アルミが持つ冷えやすさに加えて、軽量で輸送コストがスチール製よりも優位なことから採用が決まった。これ以降、ビール大手各社の缶素材のスチールからアルミへの切り替えが本格化。これにより、アルミ板の大きなマーケットが切り開かれることとなった。

 なお、70年代当時はプルタブを用いたアルミ缶が主流だったが、90年代に入ってからはタブが缶蓋から離れないステイオンタブ(SOT)へと形態が変化している。

国内鉱山の閉山相次ぐ、足尾銅山や別子銅山など/1973年~

 1971年の「ニクソン・ショック」で銅市況が下落、さらにスミソニアン協定後の円高、国内需要の低迷などが国内鉱山の収益性を急激に悪化させた。国内の大手・中小鉱山が相次いで閉山に追い込まれ、73年には足尾銅山、生野銀山、別子銅山といった歴史ある鉱山も鉱量枯渇や採掘コストの上昇などを理由に閉山した。

 各社は鉱山の縮小や閉山に対応するため、下流事業の拡充など経営の多角化を推進し、鉱山に代わる事業の育成に取り組んだ。

電線リサイクル協議会が発足、銅ナゲット加工が始まる/1976年

 1970年代に入り、非鉄金属スクラップのリサイクル分野では選別・加工技術の向上が目立った。72年に廃被覆電線から被覆材を除去した後、粒状の銅ナゲットに加工するナゲットマシーンが登場。取り扱い業者の増加に伴い、76年にはナゲット加工メーカーによる業界団体「電線リサイクル協議会」が発足した。それまで残滓として捨てられていた電線被覆材から塩化ビニル、ポリエチレンを分離回収する設備の導入も進められた。

内面溝付銅管が量産化、エアコンの効率向上/1977年~

 1970年代後半から大手銅管メーカーがエアコンの効率を大幅に高める内面溝付管を相次いで市場に投入。77年に日立電線(現日立金属)が量産化し、その後古河電工が生産を開始した。79年には住軽伸銅工業(現UACJ銅管)と神戸製鋼所が製造をスタート。現在は国内大手の主力製品になっている。

 銅管の内面に施した細かな溝加工により冷媒と接する面積を広げることなどで、エアコンの性能向上に貢献している。

菱刈鉱山の発見、日本一の金鉱山に/1981年

 1981年に鹿児島県伊佐郡菱刈町で金属鉱業事業団(現JOGMEC)が高品位の金鉱脈を発見。同年、住友金属鉱山による追加試錐でも18本全ての試錐孔が高品位の金鉱脈に着脈するという国内探査史上で稀にみる快挙を達成した。超高品位の金銀鉱を埋蔵する鉱山として世界的にも有名となる菱刈鉱山の発見だ。同鉱山は85年に出鉱を開始、97年には産金量で佐渡金山を抜き日本一の金鉱山となった。現在も国内で操業を続ける唯一の金属鉱山として安定的に金を産出し続けるとともに、国内の鉱業技術者育成の場としても貢献している。

オールアルミ新幹線が登場/1982年

 1982年に登場した東北・上越新幹線向け新幹線車両「200系」は初のアルミ車輌新幹線としても有名だ。

 雪が積もる寒冷地を走る新幹線車両。除雪機能を持つ設備による重量増に対応するため、車体にアルミを利用することで全体重量の軽量化を実現した。

 「200系」が登場して以降、軽くて耐食性やリサイクル性に優れるアルミが新幹線に採用されるケースが増加。最近ではダブルスキン構造や摩擦撹拌接合によって、生産性向上とコストダウンが可能となり、アルミの存在感がさらに増している。

レアメタルの国家備蓄、官民一体でスタート/1983年

 1967年の第三次中東戦争、73年の第一次オイルショックの発生を機に石油やLPガスなどの資源備蓄事業がスタート。短期的な供給障害に対応するため、民間事業者に備蓄が義務付けられた。

 83年には「レアメタル国家備蓄制度」が創設。石油などと異なり、創設当初より官民一体となった体制が取られることとなった。備蓄量は国家備蓄42日分、民間備蓄18日分、計60日分。日本企業に対し、延べ20回以上の売却が実施されている。

国内企業の第二次銅資源開発ブーム/1986年~

 1980年代に入り世界的に新規鉱山開発が活発化、国内産銅企業も資源確保へ海外の大型銅鉱山に参画する動きが進んだ。86年に住友金属鉱山、住友商事がモレンシー銅鉱山(米国)に資本参加。90年には日本企業(三菱商事、日鉱金属(現JX金属)、三菱マテリアル)が出資する世界最大の露天掘り銅鉱山、チリのエスコンディーダ銅鉱山が生産を開始した。

 その後も2000年代初頭にかけラ・カンデラリア(チリ)やコジャワシ(チリ)、バツ・ヒジャウ(インドネシア)、ロス・ペランブレス(チリ)など、日本の主力銅供給源となる鉱山への出資が続いた。

銅管大手、東南アジアで生産開始/1990年代

 大手銅管メーカーは1990年代に顧客である日系エアコンメーカーの海外展開に対応して、東南アジアで相次いで生産を開始した。

 古河電工は88年に銅管子会社としてフルカワ・メタル・タイランドを設立し、90年から製造をスタート。さらに同年に住友軽金属工業(現UACJ)がスミケイマレーシアを、86年には三菱マテリアルがMMCカッパーチューブタイを設立している。現在東南アジアの銅管需要は順調に伸びており、注力市場に位置付けている大手が多い。