【金属芸術家と匠に聞く】〈金属の魅力と可能性㊦〉《第52代明珍家当主明珍宗理氏》鍛冶技術で美しい〝音色〟

――明珍(みょうちん)家は、850年の歴史を持つ鍛冶職人の家柄と伺っております。

 「当家は元々、鎧や兜を製作する甲冑師です。平安時代末期、近衛天皇に武具を献上した際に〝音響朗々、光り明白にして玉の如く、類希なる珍器なり〟という評価を受け〝明珍〟の名前を授けられました。以来、代々鍛冶を生業としてきまして、私で52代になります」

――どのようなものを作っているのですか。

第52代明珍家当主・明珍宗理氏

 「江戸時代に入ってからは姫路城下の工房で甲冑を作っていましたが、明治時代になり武家社会が終わってからは甲冑需要がなくなり、代わりに火箸を作るようになりました。しかし、これも高度成長期にストーブが家庭に普及したことで火箸が売れなくなり、廃業も考えるところまで追い詰められました。『何か新しいことを始めなければ生きていけない』というとき、火箸を利用した風鈴を思いつき製作を始めました」

――明珍の〝火箸風鈴〟はとても有名です。なぜ風鈴だったのでしょうか。

 「明珍火箸はもともと、火箸が触れたときに、とても澄んだ音がよく響きます。それにヒントを得て『何とかうまく利用できないだろうか』と考えた結果が風鈴だったわけです。甲冑鍛冶の時代から〝音〟で評価をしてもらっていましたが、改めて〝音〟に着目したことで、今日まで生き抜くことができたと思っています」

――火箸風鈴の素材はどのような金属ですか。

 「製鉄所で造られる一般的な〝洋鉄〟のSS鋼が始まりでしたが、いまは伝統的な〝和鉄〟である玉鋼。これとチタン、ピアノ線材の合計4種類を扱っています。玉鋼は原則として刀匠以外には出せないことになっていますが、たたら製鉄の第一人者の木原村下(むらげ)に助言をいただいて日本刀剣保存協会へ申請したところ、特例で分けてもらえるようになった。チタンは新日鉄住金さんに研磨や洗浄工程で協力してもらっています」

――玉鋼やチタンは一般的には手に入りにくい金属です。原材料へのこだわりを感じます。

 「日本では1800年代半ばに釜石で近代製鉄法が確立されるまでは玉鋼しかなく、甲冑も玉鋼で作っていました。代々の技術を先祖が使っていた金属で作りたいという思いから玉鋼に挑戦しました。初めはどんな音が出るかわかりませんでしたが、洋鉄にはない深い余韻が残る音色でした」

 「チタンは錆びない、軽い、アレルギーを起こさないということを知り、一度挑戦したいという思いに駆られた。鉄に比べて硬くてすぐ冷えるので作業はとても過酷です。しかし鉄や玉鋼とは違ったいい音色を響かせてくれます」

――美しい音色はどのように発現させるのですか。

 「これは素材そのものではなく鍛錬方法によるものが大きいようです。うまく火箸のかたちに打つことができても最初は音がついてこない。師匠の打ち方を見て、実際に打ち続けることで音がついてきます。以前、県立大学の教授が音の研究をするために火箸を電子顕微鏡やレントゲンで調査したことがあったのですが結論は出ず、〝明珍の焼き加減と打ち加減〟となったのは、そういうことなのでしょう」

玉鋼、チタンで「火箸風鈴」製作/常にチャレンジ精神で

「私たちは鉄の温度を色で見ています。色が赤ければまだ温度は低く、橙色から白く変化し、1560度の手前になるとチリチリと火花を上げて溶け始めるので、その手前で取り出して打つ。自分では叩く回数を数えたことはありませんが、教授によると打つ回数は毎回ほぼ同じということでした」

――匠の技術ということなのですね。こうした優れた技術を残していく難しさもあると聞きますが。

 「いくら技術があったとしても、その技術で生活できなければ生きていけません。生活を成り立たせていくためには、日本の生活様式に着いていく必要があります。明珍の場合は甲冑から始まり、火箸、風鈴と作るものは様変わりしました。伝統を繋いでいくためにも、常に新しいことにチャレンジする気持ちを持つことが大切でしょう」

――明珍さんはこの60年間、さまざまなことに挑戦してきました。これからの目標は。

 「私が家業に就いたころは、生家が人手に渡ってしまうほど厳しい時代でした。そのころを思い返すと、鉄に苦しめられたと思うのですが、いろいろなことに挑戦できていまは鉄に楽しませてもらっています。私個人としては、鍛冶職人として〝生涯現役〟でいるために体力を温存しながら、良い商品を作っていければいいと思っています」

 「明珍家としては、幸いにも次男が刀工として玉鋼の鍛錬を、三男が明珍の鍛冶技術を継承してくれるので、今後のことは彼らに任せます。彼らもより良いものを作り続けるため、いろいろなことを模索していると思います。新しいアイディアは閃きで生まれることも多いので、焦らずにやっていってほしい」

――最後に、生業として金属を扱ってきましたが、金属の魅力についてどのようにお考えですか。

 「SS鋼や玉鋼など素材によって音色はまったく違うのですが、同じ素材を同じように打ったとしても同じ音色にはなりません。こういうところは金属の面白さだと感じたりしますね。形の美しさをだけではなく、美しい〝明珍の音〟というのを大切にしていきたいです」(遊佐 鉄平)

プロフィール

 明珍 宗理氏(みょうちん・むねみち)1942年兵庫県姫路市生まれ。18歳のとき第51代・明珍宗之氏(実父)に師事、以来約60年にわたり鍛冶職人として技術を高めた。1992年に第52代明珍宗理を襲名し現在に至る。姫路市や兵庫県からの表彰をはじめとして、2011年に「現代の名工」を受賞、14年に黄綬褒章受章、16年に文化庁長官表彰を受賞した。

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