【現役主審に問う|西村雄一×岩政大樹 #1】判定を間違えたら審判はどうする?「死ね」発言騒動がひとつの契機に

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 サッカーの未来について考える。語る。
 対談連載の第2回は、レフェリーの西村雄一さんにお話を伺いました。

 私が大学生だった時のとある試合でこんなことがありました。
 
 血気盛んな若造だった私は、いつもレフェリーに食ってかかっていて、その試合でも幾度となく抗議を繰り返していました。すると、何気ないプレーだったと記憶していますが、私はPKを取られました。納得できない私はレフェリーを睨みました。そのレフェリーは毅然とした目で私を睨み返し、頑として突き放しました。そのPKで私たちは試合に敗れました。
 
 プロに入り、数年が経過した頃、私はふとその時のレフェリーが西村さんだったのではないか、と思う瞬間がありました。何度か確認しようかと思ったこともあったのですが、決して美しくない思い出でしたし、なんとなく聞く勇気も湧かずにいました。
 
 私がレフェリーとの接し方を変えていったのがその頃でした。同時に、西村さんの選手との接し方も変わったように感じました。
 
 お互いが自分と向き合うなかで気づいていったものが同じな気がして、私は勝手に、西村さんとともに成長してきたという感覚を持つようになり、お互いをリスペクトする感情のなかで、一緒に試合を”作る”関係になっていきました。
 
 しかし、これらも選手とレフェリーという関係上、確認することなく、今日まで至りました。
 
 私の片思いではないか。そもそも最初の記憶が間違えているのでないか。
 
 いつか伺ってみたいと思っていた長年の疑念を解決する場を用意していただきました。
 
 西村さんが世界のトップレベルに上り詰めていくなかで見えてきたもの。向き合ってきたもの。そこには、選手とレフェリーの関係の未来、日本サッカーの未来、そして人と人にあるべき不変の未来がありました。
 
 あまり知られることのない、レフェリーの目線や本音にも迫りました。ピッチの中の世界をちょっとだけ覗いて、想像してみてください。
 
―――◆―――◆―――◆―――
 
岩政大樹 現役選手と現役レフェリーの対談は斬新だと思ってオファーさせていただきました。このインタビューを受けるにあたって、”リスク”は考えましたか?
 
西村雄一 いや、まったく考えませんでした。レフェリーに対する世の中のイメージと、仕事の実情に差があると感じていたので、そのギャップを埋める機会がいただけたら全力で取り組みたいと思っていたんです。今日は感謝しています。
 
岩政 ずっとお聞きしたかったんですが、私が大学生の頃、西村さんは関東大学リーグで笛を吹いていませんでしたか?
 
西村 吹いていましたね。
 
岩政 やっぱり、そうですよね。Jリーグでプレーしている時に確認するのもあれかなと思って、今まで聞いていなかったんです。
 
西村 大学の頃に笛を吹かせてもらった選手は結構います。川崎の中村憲剛さんもそうでした。岩政さんと同じくらいの年齢ですよね?

岩政 そうです。私の一学年上です。
 
西村 日本のレフェリーが成長していく過程で必ず大学リーグを担当する時期があります。中村憲剛さんも「中央大時代からずっと見ていた」と伝えたら、「えっ!」と驚かれました。
 
岩政 私はプロになって途中で気づきました。西村さんには、大学の時にもお世話になったな、と。
 
西村 気づかれたタイミングで、岩政さんの対応も少し変わったんじゃないですか?
 
岩政 西村さんに気づいて変わったというより、ちょうど私自身がレフェリーへの接し方を変えた時期でした。私の大学時代は覚えています?
 
西村 はい。大体覚えています。
 
岩政 大学の頃の私は、レフェリーに抗議するのがカッコいいと思っていました。小学生の頃に見ていたプロの選手たちがそうしていたので。でも、どこか違和感もありました。そんななかで、2005年に2試合連続で退場という不名誉な記録を作ってしまい……。態度を見直さないと自分に返ってくるなと感じたんです。
 
西村 その2試合のレフェリーは、私ではなかったですよね?
 
岩政 違います。私のなかでは、1試合目は誤審だと思っているんですが(笑)。でも、すごく大きな出来事で、そこで考え方を改めました。西村さんも、キャリアの途中でレフェリングのスタイルが変わりましたよね?
 
西村 レフェリーとしての成長過程で、選手とのコミュニケーションが上手く取れないことがありました。また、判定への責任感や正義感とどう向き合うべきなのか、と考える時期も。そのなかで、自分の役割は、選手が輝くためのサポートだと認識したんです。岩政さんは、レフェリーが「死ね」と言ったという件で、世間を騒がせたのを覚えていますか?
 
岩政 覚えています。
 
西村 あの時、まったく発言していないのに世の中に誤解され「これはどうしたらいいんだろう」と考えました。こちらが選手を支えたいと思っていても、言葉だけでは選手に届かない。心と心で接しないと伝わらないと気づいたんです。そこで、どうやったら心を伝えられるのかと。

岩政 いろいろと気づくタイミングがあったんですね。改めて聞きますが、西村さんがレフェリーになったキッカケは?
 
西村 もともとは地元の駒沢サッカークラブで少年のコーチをしていました。その時にレフェリーの判定が原因で子どもたちが涙を流す姿を見て、子どもたちの夢を支える者として、自分もレフェリーに取り組んでみようと思いました。
 
岩政 そして「死ね」発言の一件から、西村さんは心で接するようになったと。
 
西村 言葉が通じる日本人選手とでも意思疎通が取れないことがある。まして、海外の選手たちとも意思疎通しなければいけない。だったら、言葉ではないコミュニケーション方法を身に付けるのは必須だなと思ったんです。
 
岩政 気持ちを切り替えるのは簡単ではなかったと思います。そのタイミングで、なにを変化させたんですか?
 
西村 選手の想いを受け入れるようにしました。例えば、「怒り」という感情にも種類があります。私のレフェリングに対してなら、選手と一緒に解決策を見つけなければならない。また、選手が自分のプレーにフラストレーションを溜めているのであれば、間が必要です。対戦相手の行動に頭に来ている場合は、仲裁に入らなければならない。その種類を見極めて対処することが必要だと考えました。
 
岩政 選手の心のなかに入っていくわけですね?
 
西村 そうです。選手心理の部分に少し入っていかないと、正しくサポートできないと感じました。
 
岩政 西村さんが変化した後、選手たちの反応はどうでした?
 
西村 「ありがとう」と言ってもらえることが多くなりました。岩政さんにも言ってもらったことを覚えています。相手にファウルされた時に「岩政さん大丈夫?」と呼びかけると、「オッケー。レフェリー、ありがとう」というコミュニケーションを取ってくれましたよね?
 
岩政 取りましたね。
 
西村 そういう短いコミュニケーションから、選手との信頼関係を築いていきました。逆に、選手が覚悟してファウルするケースでは、コミュニケーションを取らずに黙ってイエローカードやレッドカードを出しても受け止めてくれます。
 
岩政 結局は人間関係ですよね。私もレフェリーの心理を考えるようになってから変われたと思っているんです。

西村 選手は鋭いので、なんとなく吹かれた笛には「違うんじゃないの?」と言いたくなるはずです。レフェリーは、しっかり見極め判定を下すのが最低限ですが、見えなくて判断できなかった場合は「申し訳ない。見えなかった」と正直に伝えたほうが理解していただけるかもしれない。岩政さんも、そのほうが納得できませんか?
 
岩政 そうなんです。そのほうが納得できます。西村さんは試合中に「今のは分からなかった。ごめん!」みたいなことをおっしゃられますよね。経験が浅いレフェリーは、謝るのは難しいものですか?
 
西村 判断をする責任感から、頑なに貫いてしまうケースもあります。自分にも同じような経験がありました。レフェリーはいろんなミスから、改善策を考えて成長していきます。私自身も関東大学リーグなどでの経験が、今のレフェリングに礎になっています。
人間どうしてもミスはあります。それを選手に受け入れてもらえるかどうか。判断できなかった時には、正直に伝えたほうがいいのではないかと思っています。
 
<<#2に続く|19日朝公開予定です>>
 
【プロフィール】
西村雄一(にしむら・ゆういち)/1972年4月17日、東京都出身。1999年に一級審判員として登録され、2004年からスペシャルレフェリー(現・プロフェッショナルレフェリー)に。2010年の南アフリカ・ワールドカップ決勝の第4審判、2014年のブラジル・ワールドカップでは、開幕戦で主審を務めた。2014年まで国際審判員として活躍し、現在はJリーグで笛を吹いている。
 
岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

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