<南風>医師を辞めた理由

 唐突だが、私は、両親をとても愛している。

 経営を任された翌年、父を亡くした。生老病死は世の理なるも、突然の別れに朝な夕なに泣いた。父の居ない世界にひとり残され、悲しみに打ち拉(ひし)がれた。父を偲び、空蝉(うつせみ)の虚(むな)しさに枕を濡らし、目覚めてはまた哭(な)いた。

 涙も枯れぬひと月が過ぎた頃、会社の仕事を頼まれた。刹那、悲しみが潮の如(ごと)く引き、父が私の体に蘇(よみがえ)った。父は、私の中に生きていた。それからの私は、父を感じたくて、経営に夢中になった。

 私は、会社と社員を守ると強く心に決めた。

 経営が安定し、私は建築の勉強を始めた。建設会社の経営者が、建築を知らないのでは話にならない。弊社の建築理念の「人を守り、心地よく、美しい建築物を造る」を、絵に描いた餅にしない為に、率先垂範する必要がある。

 然(さ)すれば、医師の勉強が疎(おろそ)かになった。

 私の医師としての基礎は、内科医である。それを踏まえて、消化器特に内視鏡を専門とする。

 医師は、日進月歩の医学の勉強を怠ってはならない。私は、生涯研修医を胸に診療を行ってきた。幾つ齢(よわい)を重ねようと、その志を忘れずにいた。

 建築を勉強するまでは、内科学に関する文献や医学誌を読み、時には教科書で復習することを常としていた。更に消化器や内視鏡に関しては、より深く勉強した。

 医業を生業(なりわい)とする者に、経営や建築の勉強をする時間など無い。

 不勉強な状態で医師を続けることは、患者さんへの冒涜(ぼうとく)である。私は、医師か経営者かの選択を迫られた。

 既に心の天秤(てんびん)は、経営者に傾いており、私は、医師を辞めることにした。

 死のうは一定 しのび草には何をしようぞ 一定語りをこすよの信長唄う

(東恩納厚、東恩納組 代表取締役会長)

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