福田須磨子の遺作見つかる

 原爆の不条理を訴えた長崎を代表する被爆詩人、福田須磨子(1922~74年)が52歳で亡くなる前年に書いた直筆の詩が30日までに見つかった。詩は「鏡」をテーマとし、その内容からは原爆による病で容姿が「醜悪」に変貌する自分を客観視する様子がうかがえ、遺作とみられる。福田は過去の作品では被爆者の怒りや苦しみを主観的に表現しており、識者は「心境の変化を知る上で貴重だ」と評価している。

 昨年11月に96歳で亡くなった福田の姉、豊後レイコさんの大阪府の自宅に「須磨子さん写真・資料」と書かれた段ボールが保管されており、詩は段ボール内のノートに記されていた。ノートの表には「詩三篇 1973(S48)」と記されており、原爆症に冒された福田が亡くなる1年前、大阪府の病院で療養中に使っていたとみられる。

 ノートにつづられていた詩は「鏡」、「鏡の中の自分へ」などの3編。福田は55年、33歳の時に顔や体に紅斑が広がるエリテマトーデスに襲われ、そんな姿を見たくないと家中の鏡を岩にたたきつけた様子を原爆体験記「われなお生きてあり」に描いている。詩「鏡」はその18年後の心境について「もう鏡は割らないで 毎日 自分の顔をみている 原爆でこわされていく 顔を、体を、じっと じっと。」と表現し、文末に「73・2」と記している。詩「鏡の中の自分へ」では「ごらんなさい 顔の色は白・黒・紅(あか)・黄の だんだら模様(中略)これじゃね、全く醜悪そのものだもん 隣室の住人が うんざりするのも無理ないわね」と達観したような心情を吐露している。

 福田の生涯をまとめた「原子野に生きる」(長崎の証言の会編)によると、詩集は63年の「烙印(らくいん)」を最後に発表されておらず、晩年の詩は知られていない。

 福田は鏡を割った55年、「何もかも いやになりました」で始まる代表作の詩「ひとりごと」を執筆し、被爆者の怒りを率直に訴えたことで有名になった。原爆文学に詳しい活水女子大の田中俊廣教授(67)は「主観的なひとりごとの『独白』から、鏡の中の自分との『対話』へと変化している。原爆直後の困窮と被爆者運動の激動から離れ、より深く自分を見詰める境地に到達していたのではないか」と解説する。

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