【→U30】たった独りでカンヌに飛び込む

(2)進まぬ脚本、集まらぬ資金、夢はベルリン映画祭

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インタビューに応じる俳優石崎チャベ太郎(左)とプロデューサーの曽我満寿美(右)=2017年7月、東京
映画「グリーングラス」撮影の一コマ=チリ

 2010年のカンヌ国際映画祭で出会ったチリ人監督イグナシオ・ルイス・アルバレスと俳優石崎チャベ太郎(34)。距離にして1万7千キロ、ほぼ地球の裏側ほど離れた日本とチリで2人は映画製作に向け動き始めた。だが、そこに待ち受けたのは情熱だけではどうにもならない試練だった。

▽東日本大震災をモチーフに

 2人は、インターネット電話「スカイプ」やメールを駆使し、距離と言葉の壁を越えて構想を練っていた。そのさなか、東日本大震災が起きる。甚大な被害は脚本にも影響を与えた。

 チリは、中南米では日本と近いといわれる。国民性は勤勉で穏やか、シャイな部分もある。地震、火山の噴火、津波の被害を経験している点も共通だ。

 そんなチリで育ったイグナシオと石崎。2人はやがて「亡くなった人、死者への思い」というテーマに行き着いた。議論を重ね、震災をモチーフに取り入れた。

 原作のない一からの脚本作り。イグナシオは何度も書き換えた。20代で石崎よりも若いイグナシオは、期間中に別の短編映画も製作。やりとりが数カ月単位となることも珍しくなかった。時間だけが過ぎていく。資金集めもままならない。「もういいんじゃないか」。石崎の心が折れそうになっていたその頃、チリ政府のファンドが撮影費用を助成することが決まった。15年1月、すべてが動きだした。

 ▽有力スポンサーが撤退

 ところが8月には、有力スポンサーになるはずの企業が断りを入れてきた。14年11月から製作に参加したプロデューサー曽我満寿美(40)は振り返る。「映画のシーンに、スポンサーが指定するものを入れるよう条件を出してきて、監督が受けられないと判断しました。そこからは地獄でした」

 助成金はチリ国内撮影にのみ使用という条件。期限もある。なんとか日本での撮影資金を確保しようと石崎や曽我らスタッフは奔走する。しかしスポンサーはなかなか集まらない。

 そうこうするうち、16年7月にチリでの撮影が始まった。石崎が真冬の海に入るシーンにウエットスーツが用意されておらず、死にそうになったこともあった。それでも「演じていると『ああ、こういうことか』と意味を発見する瞬間がある。やっているときは生きている感じがする」と充実していた。

 ▽チリ人スタッフに助けられ

 ただ、その後も資金集めは難航。石崎は日本での撮影をあきらめるか決断を迫られた。結局、いったん自ら借金して撮影を続ける道を選んだ。

 限られた資金での撮影は大変だった。ロケの車の運転を役者やカメラマンに頼むこともあった。石崎も曽我も頭を下げて回った。救いは“イグナシオ組”の明るさ。チリ人スタッフは常に前向きで協力的だった。なんとか撮影は終了した。

 石崎とイグナシオが出会ってからすでに7年。現在、日智修好120年記念映画として、4時間以上あるカットを100~120分に編集する作業が進む。完成したらベルリン国際映画祭に出すのが目標だ。(敬称略、年齢、肩書などは取材当時)

 動画ニュースはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=K29hb44Bz-k

 映画「グリーングラス」クラウドファンディング→https://motion-gallery.net/projects/greengrass

▽取材を終えて

 「給料や待遇で人生を選択するのではなく、自分の情熱が湧くものに挑戦してほしい」。一通り話を聞いた後に石崎が送ってきてくれたメールにはこうあった。20代はある程度の無謀が許されるべき時期なんだと思い出した。結果的に日本側の映画スタッフの苦労は相当のものだったようだが、気持ちで協力してくれたのも、作品への情熱あってこそだろう。石崎は、今後は海外での活動を増やしていきたいと話す。夢への挑戦はまだ続きそうだ。(共同=川崎経大)

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