荷運び馬の復活を目指す

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 狭い坂道や階段が続く斜面地で荷物の運び役として働き、坂の街長崎の発展を支えたのが対州馬(たいしゅうば)に代表される馬たちだった。時代とともに仕事は減り、長崎市内では2009年を最後に荷運び馬は姿を消したが、"復活"を目指す取り組みもある。坂の街で再び馬が活躍する日を夢見て、愛馬を育てる男性を訪ねた。

 長崎市田中町の山の中、知り合いの土地の一角を借り、イラストレーターで便利屋業「対州屋」を営む江島達也さん(54)=同市横尾3丁目=が1頭の馬を育てている。栗毛が美しい馬の名前はひん太。「ヒヒーン」という馬の鳴き声にちなみ、幅広く親しまれるようにと名付けられた。

 ひん太は南島原市内で生まれ、複数の馬とともに放牧の形で飼われていたが、昨年3月、江島さんが購入して長崎市に連れてきた。年齢は推定3歳で体高は120センチほど。「ほぼ間違いなく」対州馬だとみられるが、血統書がないため、血液検査で鑑定中だ。

 長崎に来た当初は人を警戒し、ちょっと近づくと逃げ出していたひん太。江島さんが毎日世話を続けるうちに人との触れ合いに慣れ、今では江島さん以外が近づいて世話をしても平気な様子で過ごしている。

 江島さんが対州馬に興味を持ったきっかけは、2007年10月~10年2月に長崎新聞で連載したイラストエッセー「僕の子ども絵日記」だという。取材で訪れた大村市内のカフェ「WARANAYA」で飼われている対州馬に合い、従順で人間味も感じさせる姿が好きになった。ちょうどその時期に長崎市内では荷運び馬がいなくなった。

 「時代とともに失われる建物や文化は多いけど、復活するものがあってもいいと思う」。江島さんは12年、伊良林地区で荷物を背負った対州馬を歩かせ、荷運びを再現するプロジェクトを実施した。今は荷運び馬の本格的な復活を目指し、ひん太とのトレーニングを重ねている。

 動機はノスタルジーだけではない。日本在来馬8種の一つである対州馬だが、現在は対馬にも40頭しか飼われておらず、種の保存が課題だ。江島さんは働く馬ならば、いつまでも必要とされ、種も守られるだろうとも考えた。

 荷運び以外でも観光客向けのサービスをしたり、福祉施設を慰問して人々を喜ばせたりと、いろいろな活躍の場を想定している。ひん太が対州馬と認定されれば、種馬として貢献する可能性もあるだろう。

 江島さんは先の連載の最終回でこうつづっている。

 -大村であった対州馬は、遠くから呼ぶと、初めはモジモジしていたけど、だんだん近寄って来て、最後は犬のようになつき、あまえてきた。すっかりこの馬にホレてしまった。この働き者で感じの良い馬が再び坂道を歩く姿を見てみたい。それはきっと、やさしい街に似合うから-。

 ひん太が街に出るにはもう少し訓練が必要なようで江島さんも「焦らず、着実に」と話している。それでも江島さんを信頼するひん太の様子を見ると、荷運び馬復活の日は、近い将来、きっとやって来るだろう。その日を楽しみに待ちたい。

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