右目失明の竹内選手(徳島・鳴門渦潮)三塁コーチで得点導く 「最高の場所だった」

画像

 右目を失明している鳴門渦潮の竹内虎太郎選手(17)=3年=が、12日の1回戦、日本文理(新潟)戦で三塁コーチを務めた。努力を重ねて立った憧れの舞台。磨いてきた的確な状況判断で、仲間を本塁に導いた。「最高の場所だった。ここに来られて幸せ」。勝利はつかめなかったが、やりきった思いと仲間への感謝で涙があふれた。

  四回。走者一塁で鈴江が安打を放つと、迷わず大きく腕を回した。中堅手の体勢と連係を分析した上での判断だった。走者は一気に生還し「1点でも多く取るのには貢献できた」と少し誇らしげに言った。

  2015年12月、練習中に打者の打ち損じたボールが右目を直撃。緊急搬送され、手術を二度受けたが右目を失明した。「この先どうやって過ごしたらいいのか」。不安から、大好きな野球のことを考えられない時期もあった。

  そんな自分を変えてくれたのは両親や野球部の仲間だった。両親はことあるごとに「大丈夫」と声を掛けてくれた。部員たちからは「また一緒に野球をしよう」と書かれた色紙が届いた。

  心が次第に前向きになった。「甲子園に行くためにこの学校を選んだ。諦めたら駄目だ」。そう自分を奮い立たせた。

  退院から2カ月後の16年3月、野球部に復帰したが、プレーするのは簡単ではなかった。バットにボールが当たらず、グラブでの捕球もままならない。片目の視野しかないのは、野球選手として大きなハンディだった。それでも、バッティングマシンが放つ球を近くで見て目を慣らしたり、ゴロを捕球したりする練習を地道に重ねた。

  半年余りたつと「外野手として試合に出られるレベル」(森恭仁監督)にまで成長した。森監督は「大けがに屈せず、懸命に練習する姿勢には頭が下がる」とうなる。

  苦難を克服して立った聖地のグラウンド。スタンドで見守った父の義仁さん(47)は「野球を続けると聞いた時は心配とうれしさが半々だった。夢のよう」とたくましい息子の姿を目に焼き付けた。

  竹内選手は今後も野球を続けるつもりだ。将来の夢は教師。「先生になって甲子園に戻ってきたい」と誓った。

あなたにおすすめ