満州引き揚げ時に別れ「まだ見ぬ妹」捜す兄弟

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会ったことのない異母妹を捜すため、神戸を訪れた森岡彬真さん(左)と弟の敏真さん=神戸市内

 終戦後すぐ、中国・大連で父と兄弟が、一緒に暮らした女性。家族同然で、兄弟は母のように慕う。しかし引き揚げの際、家族と女性はそれぞれの故郷へ。兄弟は今、女性が帰国後に産んだ異母妹の行方を捜す。兄の森岡彬真(よしまさ)さん(84)=札幌市=と、弟の敏真(としまさ)さん(81)=明石市=は、異母妹が「故郷の大分から神戸市須磨区に転居した」という20年前の情報を頼りに神戸の街を歩いた。「生きているうちに一目会いたい」と願う。(金 慶順)

 1938年、5歳と3歳だった兄弟は、南満州鉄道(満鉄)の技師だった父の光朗さん、母のトヨさんと、松江市から大連へ移住。47年1月に引き揚げ命令が出るまで現地で暮らした。終戦直後に実母のトヨさんが病死し、寂しさと生活の苦しさに押しつぶされそうだった兄弟が「ハルさん」と出会ったのは45年10月だった。

 ある日、満鉄社宅のそばの食堂にハルさんが飛び込んできた。「逃げてきました。誰か家に置いてくれませんか」。父の光朗さんがそれに応じた。当時のハルさんは30歳ぐらいに見えたという。

 職を失った光朗さんは、野菜を売って生計を立てていた。早朝に卸売市場で仕入れた野菜を、午前中は日本人の家に売り歩き、午後は路上で売り切る。ハルさんが来てからは、彬真さんも父を手伝った。

 「本当の子どものようにかわいがってくれた」と彬真さん。父とハルさんも夫婦のように仲むつまじかった。共に暮らす間に、2度の転居命令を受け、強盗に家財道具を奪われた。移り住んだ知人宅では、ハルさんが毛糸の靴下を毎晩2足編み上げ、彬真さんが売って生活費にした。

 そして引き揚げ時。森岡さんの家族は松江に、ハルさんは故郷の大分県に帰ることになった。今になって敏真さんは、当時の父の心境をおもんぱかる。「妻の遺骨を抱いて、別の女性を故郷に連れ帰ることはできなかったのだろう」

 だが日本へ向かう貨物船の中で、ハルさんが彬真さんに言った。「一緒に大分に来ませんか」

 そのときハルさんのおなかには異母妹がいた。彬真さんは当時14歳。ハルさんと離れたくなかったが、松江で待つ祖父母と故郷の風景が浮かんだ。佐世保港で泣いて別れた。

 帰国後、光朗さんは再婚。新しい母への遠慮から、兄弟がハルさんと再び会うことはなかった。

 

■大分から転居■

 光朗さんが亡くなった94年、彬真さんはハルさんを捜そうと、大分県に引き揚げ者の情報を問い合わせた。ハルさんは85年に亡くなっていた。訃報と同時に「ご長女は神戸市須磨区戎町に転居している」と告げられた。転居は、ハルさんの死後だったという。

 異母妹の生存を知っただけで、そのときは安心した。だが、兄弟の年齢が80歳を超えたころ「生きているうちに一目会いたい」との思いが募った。ハルさんへの感謝も伝えたい。

 昨夏、須磨区の住所に手紙を送ったが、宛先不明で戻ってきた。そして今春、兄弟で初めて須磨区を訪れた。阪神・淡路大震災を経た街を、妹の名前と来歴を頼りに聞き回ったが、知る人はいなかった。結婚して姓が変わったのかもしれない。再び転居したのかもしれない。それでも神戸に手がかりがあると信じ、引き続き情報を集める。

 生きていれば70歳。「混乱のさなかでハルさんと私たちは確かに家族だった。妹にそう伝えたい」

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 森岡さん兄弟は、ハルさんや妹についての情報を募っている。ハルさんの姓や妹の名前など「思い当たる人がいればもう少し詳しい情報を話したい」と話す。

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