<鳴子温泉物語>放漫経営で旅館激減

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衰退が進む鳴子温泉郷。宿泊施設数は最盛期の半分になった

◎再生への岐路(2)衰退

 大崎市鳴子温泉の表通りにある大正館(15室)は2016年9月末、1億9000万円の負債を抱え、自己破産した。

 創業は大正時代。3代目の菊地英文さん(55)は01年に経営を引き継いだ。その約10年前から家業に携わってきたが、借入金の額を初めて知り、がくぜんとした。

 「建物の改築も、水回りの改修も計画性がまるでない。場当たり的に金を借りる放漫経営が当たり前のように続けられてきた」

<130軒から65軒に>

 長引く不況に加え、08年にはリーマン・ショックが襲う。銀行の融資が細れば資金繰りは悪化する。宮城県鳴子町を含む大崎地方の市町合併後、水道代が段階的に2~3倍に引き上げられ、財務にのしかかった。

 菊地さんは14年、中小企業再生支援協議会の支援を受け再生計画を策定した。自腹を切って金策し、客の送迎、布団の上げ下ろしなど何役もこなした。それでも光は一向に見えない。

 「半年後には従業員に給料を払えなくなるかもしれない」。創業104年目。苦渋の決断をした。

 大正館の歩みは、鳴子温泉郷がたどった衰退の歴史そのものだ。1989年のピーク時、130軒あった宿泊施設は現在、半数の65軒。多額の負債が設備投資や世代交代を阻み「団体から個人へ」という旅行形態の変化に乗り損なう。バブル期に栄えた温泉地は、どこも似た状況だった。

 鳴子温泉郷観光協会の高橋宣安会長(65)=鳴子ホテル社長=は「ある意味、時代の流れに乗ってしまった」と自嘲気味に話す。

<「人任せな体質」>

 東日本大震災後も6旅館がのれんを下ろした。一方で宮城県内の他の温泉地は震災後、着実に客足を取り戻している。秋保温泉(仙台市)の年間宿泊客数は16年、震災前の10年比で10.2%増になった。鳴子温泉は27.9%の減。衰退は加速した。

 理由について高橋会長は、観光名所の鳴子峡で07年以降、落石事故が相次ぎ、川沿いの遊歩道がほぼ全区間閉鎖されている影響を挙げる。「温泉は各地にあるが、鳴子峡は独自の観光資源。行政は対策を練ってほしい」と注文を付ける。

 観光協会の言い分に大崎市議の中鉢和三郎さん(54)は首をかしげる。協会は旧鳴子町時代、年間1億円超の入湯税収の3割を得ていた。中鉢さんは「その名残で、身銭を切ってプロモーションする文化がない」と分析する。合併後その収入は失われたが「何事にも人任せな体質が残った。協会が手を打っていれば、ここまでにはならなかった」と厳しく指摘した。

<鳴子温泉物語・1>高い稼働率 参入奏功 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12037.html <鳴子温泉物語・2>放漫経営で旅館激減 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12038.html <鳴子温泉物語・3>湯治や里山 なお魅力 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12039.html <鳴子温泉物語・4>目玉づくり 有志奮闘 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12040.html <鳴子温泉物語・5>若手経営者が行動を http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12041.html

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