欧州で相次ぐテロ、サッカー界の責任を問う

17日(日本時間18日未明)、スペインのバルセロナでテロ事件が発生した。

ネイマールの電撃的な退団で激震が走るなか、スーペルコパで宿敵レアル・マドリーに惨敗を喫し、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長の家族に殺害予告が届いたことが伝えられるバルセロナ。追い打ちをかけるように地元で発生した凄惨な事件は、リーグ開幕を控える彼らに一層、暗い影を落とすことになった。

これまでの報道によると、14人の死亡が確認され、100人が負傷。犯人は5人が射殺、3人が逮捕されている。

ISが犯行声明を出したこの事件の後、多くのクラブや選手たちが、連帯と支援を発表している。しかし私は、現在、欧州で起きていることとサッカー界は無関係ではない…もっと大胆なことをいえば、サッカー界にもその責任の一端があるのではないかと考えている。

テロと無関係ではないサッカー界

昨今欧州で頻発するテロ事件だが、事の発端となったのは2015年8月。混迷を深めるシリアや中東、アフリカでの紛争について、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が「人道上の観点」から難民への歓迎の意志を示したことである。

難民が殺到したのは、社会保障が充実しているそのドイツだった。しかし、欧州は「シェンゲン協定」によってEU域内での移動の自由が認められており、難民の中に潜伏した過激派などの勢力が欧州全土に広がる。

程なく、フランス対ドイツの国際親善試合が行われていたスタッド・ドゥ・フランス付近で同時多発テロが起き、以降、現在に至るまで西欧の各地でテロが頻発することに。今年5月には、シティとユナイテッドが拠点を置くマンチェスターの地で開催された人気歌手アリアナ・グランデさんのコンサートで爆発事件が起き、若者ら22名が犠牲となった。

欧州というのは思いのほか小さい。サッカー界ともかかわりも到底、無関係とは言えない状態となっている。

このような事件が発生するたびに、各クラブ、選手、関係者はお悔やみの言葉や家族への支援を述べるとともに、犯人を糾弾し、卑劣なテロに屈しないことを宣言する。すると、SNS全盛の時代だけに、一瞬にして拡散され拍手喝采を浴びる。

しかし、私はずっとそのことに苛立ちにも似たもどかしさを感じてきた。なぜかといえば、難民が大挙して押し寄せることになった2015年秋以降における、サッカー界の対応にある。

難民を歓迎したサッカー界

当時を思い出してほしい。欧州の各チーム、あるいはスター選手がこぞって、難民へのサポートの意志を示したことを。

とりわけ戦後、ナチス・ドイツの「反省」から外国人への寛容な姿勢を掲げてきたドイツでは、ブンデスリーガの各クラブが難民歓迎のスクラムを組んだ。メディアもそれを美談として取り上げ、『ビルト』などはこの輪に加わらないチームを非難したほどだ。

だが、その後、治安の悪化が深刻化し、その問題が(全てではないにせよ)難民の受け入れにあることを認めざるを得ないなかで、誰もそのことについて触れなくなった。

そう、サッカー界は間接的にとはいえ、現在の状況が生まれることを確かに支援したのである。しかし、それに対する反省の弁を、私はこれまで聞いたことがない。むしろ、事件が起きるたびに彼らは「テロに屈しない」という毅然とした声明を出し、メディアもメディアで再びそれを美談として消費している有り様である。

もちろん、声明自体が悪いとは言わない。また、選手たちにその責任を問うのは酷だろう。だが、協会やクラブ、われわれメディアも含め、この問題が起こることに加担した身として、先に成すべきことがあるのではないか。

サッカーの価値を守ろう

サッカー界はグローバルな業界である。巨大なマーケットを有し、世界に最も影響力のあるスポーツとして、社会的な責任も担っている。しかし、今日(こんにち)、サッカーとは直接の関係を持たない多くのことに関与しすぎではないかとも感じる。

サッカーを語るこの場において、政策の是非について述べるつもりはない。しかし、代表チームやクラブを応援するファン、サポーターの生活環境は千差万別であり、彼らはそれぞれ異なる意見を持っている。難民の受け入れは議論の余地がある、極めて政治的な問題だったはずだ。

近年、スタジアム内の横断幕やフラッグに関し、政治的な主張の排除が進んでいるが、その一方でリーグやクラブが影響力の大きいサッカーというスポーツを利用し、ある一方の考え方に過度に加担するのは、公平性を無視した、ファンへの裏切り行為とも言える。

FIFAは規約で、サッカー界への政治の介入を固く禁じており、もしそれを犯せば、どんな大国であっても厳正なる処分を受ける。であるならば、メディアを含めたサッカー界もまた、政治への介入に慎重に、もっと謙虚になるべきではないだろうか。

それこそが、われわれが愛するサッカーというスポーツの価値を守る「最善にしてほとんど唯一の方法」ではないかと私は考えている。

読者の皆さんはいかがであろうか。

Qoly編集長 林慎介

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