ミゲルの墓3度目発掘着手

 安土桃山時代にヨーロッパを訪問した天正遣欧使節の一員、千々石ミゲルが埋葬されたとみられる諫早市多良見町山川内の「千々石ミゲル墓所推定地」で20日、3度目の発掘調査が始まった。過去の調査では遺骨や遺品の発見に至らず、今回は地元の歴史愛好団体などが実行委をつくり、専門業者に委託して本格的に発掘する。関係者は「三度目の正直」に期待する。

 同日は発掘現場で安全祈願があり、地元住民ら40人が出席。ミゲルの血を引く大村藩家老浅田家の子孫、浅田昌彦さん(63)=川崎市=が「最後までやり抜いてミゲルの墓と確認したい」とあいさつした。

 昨年の発掘では、地下数十センチで大量の人頭大の石が出土し、中断に追い込まれた。今回は墓所に立つ巨大な墓石を一時撤去して安全を確保。地下の石を除去して掘り進める。準備作業終了後の25日から本格的な発掘を始める予定。

 ミゲルは帰国後、キリスト教の修道会イエズス会を脱会。4人の使節の中でただ一人棄教し、仏教徒になったとされる。当時の宣教師は、ミゲルを「背教者」や「落伍者(らくごしゃ)」と評価する手紙や報告書を残している。だが、調査研究統括を務める大村市の石造物研究者、大石一久さん(65)は「ミゲルは棄教していない」と力説する。

 大石さんによると、ミゲルは修道会脱会後も、キリスト教を保護していた大村藩と有馬藩に仕えた。両藩がキリスト教弾圧に転じると去り、「キリシタンの町」長崎に移住。当時の宣教師の記録の中には「ミゲルは異教徒にならなかった。教会を迫害もしなかった。キリシタンやヨーロッパのことを大変好意的に話した」とするものもある。

 墓所がある山川内は潜伏キリシタンがひそかに信仰を続けていた地域。ミゲルのものとされる墓は仏式で、1639年に死去した人物の戒名が刻まれている。大石さんは「ミゲルはキリシタンだったが、当時は禁教期であり、キリシタン墓は作れなかった」とみる。

 大石さんは「棄教者のイメージは脱会した修道会によるバッシングでつくられた虚像だ」と話す。「今回の調査でキリシタン関係の副葬品が発見されれば、ミゲルが棄教したという通説が覆る」と期待している。

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