構想外を告げられた2011年、当時浦和の坪井慶介は堀新監督に何を感じたか?

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 J2首位を走る湘南ベルマーレが薄氷の勝利を収めた8月16日のリーグ28節、敵地でのジェフ千葉戦。千葉の猛攻を耐えた湘南は83分、FWドラガン・ムルジャの一発で勝点3を手にした。シュート数は、千葉の19本に対し湘南は2本。まさに会心の一撃だった。
 
 試合後、湘南恒例の「勝利のダンス」の列には、3試合ぶりにベンチ入りしたDF坪井慶介がいた。
 
 プロ16年目となる坪井は、浦和レッズに加入した2002年に新人賞。06年にはドイツ・ワールドカップで日本代表として戦った。その一方、04年に左ハムストリング断裂で、シーズンを棒に振る経験もした。
 
 その坪井に最大の苦難が訪れたのは11年のこと。この年、浦和はゼリコ・ペトロヴィッチ監督のもと、急激な若返りを図り、30代にさしかかる選手を外すようになった。そのひとりが坪井だった。ベンチにすら入れず、監督から「試合では使わない」と構想外を告げられたという。
 
 この窮地を救ったのが堀孝史監督だ。この年の10月、成績不振により、監督交代。代わって就任したのが、当時、浦和ユースで指揮を執っていた堀監督だった。残留争いにあえぐチームの立て直しを任されたのである。
 
 当時の堀監督について坪井はこう振り返る。
「就任する前は挨拶だけで面識はありませんでした。でも、数日、練習を重ねていくと感じたんです。選手の表情とか体調をよく観ているなと。堀さんは何か言うタイプではないですし感情も表に出さない。でも、頭の良い監督だなと感じました」
 
 そして坪井は「とにかく堀さんの力になろう」。そう心に決めた。
 
 堀監督が指揮を執ったリーグ戦残り5試合のうち、坪井は仙台、福岡、柏のラスト3試合でフル出場。残留の一助となり、意地と力を見せつけた。
 
 それから6年。37歳となった坪井だが練習で見せる動きは相変わらず、軽快かつ俊敏。
湘南3年目の今年、初めてJ2を戦う。ここまでの出場時間は、わずか21分だが、それでも湘南での存在感は大きい。
 
「誰よりも早く来てコンディションを整えて、全力で取り組む姿勢を若手が見ると自然と“やらなきゃ”と思います。あのトレーニングを普通にやるんですから、凄いですよ」
 昨季まで湘南に在籍した浦和MFの菊池大介の証言からでも伝わる。
 
「きついですよ、湘南の練習は」と汗だくで笑う坪井。
もし堀監督と出会わなければ、違った現役時代を送ったのかもしれない。
 
 持ち前のスピードと日焼けした素肌から練習場を冠して“馬入の黒ヒョウ”と呼ばれる坪井。の背中でチームを引っ張り、湘南をJ1へ押し上げる。
 
取材・文:佐藤亮太(レッズプレス!!)

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