【特集】前川前次官、心の原点を探る 「加計学園問題」エピソード

記者会見に臨む文科省の前川喜平前事務次官=6月23日、東京・内幸町の日本記者クラブ
国会の閉会中審査で発言する文科省の前川前事務次官(左)と愛媛県の加戸守行前知事(右)=2017年7月
学校法人「加計学園」が進める岡山理科大獣医学部の建設予定地=8月、愛媛県今治市

 文部科学省の前川喜平前事務次官の“捨て身”の告発から約3カ月。獣医学部新設を巡る「加計学園問題」は文科省審議会の認可の判断が秋に先送りされるとみられる。「総理の意向」「官邸の最高レベルが言っている」「行政がゆがめられた」そして「記憶にない」。記者会見、国会で政治家や官僚たちが語った言葉は当事者の想定を超えて世論に響いた。内閣改造前の安倍一強政権を揺るがし、支持率低下や都議選の自民大敗を招く。この特集では今まで取り上げられなかった加計問題のエピソード(こぼれ話)を報告する。官邸からすさまじいプレッシャーを受けながら、逆境をはね返した前川氏の内面の強さ、心の原点にスポットを当てた。(共同通信=柴田友明)

 ▽会見で飛び出した「人生観」

 6月23日、東京・内幸町の日本記者クラブの会見。前川氏は「規制に穴を開けたこと自体より、穴の開け方に問題がある」と獣医学部認可について政府の決定プロセスを検証すべきだと主張した。自身が出会い系バーに通っていたと読売新聞が5月に報じたことについても触れ「私に対する個人攻撃だと思われる記事が掲載された。個人的には官邸の関与があったと考えている」と言い切った。国家権力とメディアの関係に非常に不安を覚えるとして、メディアの在り方に言及した。

 省庁の事務方トップだった人物が反旗を翻し、誹謗(ひぼう)中傷から逃げることなく、時の政権を告発する。「赤信号を青信号と考えろと言われた」「座右の銘は面従腹背」。妙に腹の据わった言い分が説得力を持ち、ネガティブなイメージがかき消される。この力の根源は何なのか。筆者は前川氏の信念に関心を持った。日本記者クラブの会見では次のようなやりとりがあった。

 ―大変個人的な質問になりますけれども、前川さんの話を理解するのにどうしても必要なことなので、あえて伺います。教育の問題です。前川さんはお育ちの中で、ご家庭で、特にお父上からどういう教えが、いま前川さんの胸の中にありますでしょうか。あるいは心にとめている教えというのは何でしょうか。

 前川氏 私の60何年かの人生を振り返って、人間形成に影響を与えた人はいろいろいるとは思いますけれど、今のご質問は、父からの影響についてですか。父からの影響を考えますと、やはり若いころから、少年時代から、仏教には非常に関心を持っておりました。私は大学時代、仏教青年会に入っていました。仏教といっても特定の宗派ではなくて、仏教一般。特に、原始仏教とか根本仏教とか言われるもの、またそこから派生してきている大乗仏教の中でも禅仏教、そういったものに対しては関心を持っていました。実際に座禅の修行をしたこともありますし、いまでもお寺を巡って歩くことが好きです。仏教の学習を通じて学んだ、培った世界観とか人生観というものは非常に大きいと思っております。

 ▽前川家3代

 加計学園問題に質疑が集中した記者会見で、「親からどんな影響を受けた」と尋ねられて迷うことなく「仏教」と即答。学生時代に仏教系サークルに入り、その思想や座禅を通じて培った人生観、世界観が自分を支えている。そういう趣旨の回答だ。このやりとりでは背景が読み取れない。前川氏の祖父と父の経歴を知ることが理解につながる。

 前川氏の祖父、前川喜作氏は大正末期に産業用冷凍機メーカー「前川製作所」を創業、実業家として成功を収めた。仏教思想に傾倒して、次世代を担う若い学生たちの教育に情熱を注ぐ篤志家でもあった。1955年に東京・目白台の広大な土地に私財を投じて男子学生寮「和敬塾」を設立した。

 聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為し」「篤(あつ)く三法を敬え」の2文字「和と敬」をモットーとし、共同生活を通じた人間形成を目指すことを塾の理念とした。今は全国から集った学生400人以上が暮らす大規模寮。祖父の代からスポーツやイベントが盛んで、著名人を招く塾生向けの講演会も続いている。

 武者小路実篤、金田一京助、湯川秀樹、森繁久弥、エドウィン・ライシャワー、蔵相時代の田中角栄…。和敬塾ホームページの初期の講演記録を見ると、そうそうたる方々が講師として名を連ねる。祖父喜作氏の交友関係の広さもうかがえる。

 前川氏の父昭一氏もその事業を受け継ぎ、塾長となる。和敬塾設立の55年に生まれた前川氏は小学校の途中まで実家の奈良で育ち上京。東大在学中に仏教青年会に入ったのも、志の高い祖父や父の活動に影響を受けたのだろう。

 日本記者クラブで質問したジャーナリストは父昭一氏と交友があり、そういった前川氏が育った環境を知った上でどう答えるか知りたかったと筆者に話してくれた。

 ▽日韓学生交流

 前川氏は1975年の春、「日韓学生仏教会議」のメンバーとして韓国を訪れている。この時の心境や思い出をつづった「韓国訪問記」が東大仏教青年会の当時の雑誌に掲載されている。二十歳の彼の素顔を知ることができる文章だ。

 一行は早大、慶大の仏教青年会の学生含め計8人で10日間かけて、ソウル、光州、慶州、釜山で同世代の現地の学生たちと交流している。

 前川氏は日本古代仏教における韓国仏教の影響について発表、その後の意見交換会での様子を次のように書いている。

 「特に印象に残ったのは、日韓併合時代に日本仏教の各宗派が政治権力の勢力拡張策と結びついた布教活動を行ったことを指摘されたことだ。それは思いがけないことだった。僕たちはそんな『昔』のことは全く知らなかったからである。彼らは、日本と韓国の厳然たる過去の歴史をしっかりと踏まえて話をしていた。それは彼らにとっては抵抗の歴史であり、我々にとっては弾圧の歴史である」

 対談した学生の中にベトナム戦争に参加した27歳の学生がいた。親友3人を失ったと聞き、「僕たちには絶対に分からない痛切な体験だ」「この物静かな仏教青年が何故銃をとって人を殺さねばならないのか?」と率直な感想を漏らしている。

 この少し年上の友人から仏教で世界を平和にしたいと話され、「僕もそう思う。このような愚かな対立を解消する力を、仏教はもっている」と記している。

  × × ×

 「加計学園問題」エピソードは続きます。次回以降は前川氏のその後、「ゆがめられた行政がただされた」と国会で主張した加戸守行・前愛媛県知事のインタビュー、獣医学部設置に期待していた今治市民の声などをテーマに取り上げる。

© 一般社団法人共同通信社