難病を患う当時1歳の三男に対する殺人未遂罪で有罪判決を受けた母親や夫の裁判員裁判での主なやりとりは以下の通り。
【三男の育児】
―三男の妊娠が分かったときはどう感じたか。
「喜びより、不安が大きかった」
―医者には4分の1の確率で(難病で死亡した)次男と同じ病気になると言われたか。
「はい」
―家族は何と言ったか。
「『せっかくできた命だから』と。一緒に手伝うからと」
―それで産もうと決めた。
「はい」
―一生懸命育児をした。
「はい。始めから結構泣いて、手がかかる子だった。一日中抱っこをしていた」
―生後1カ月ぐらいでたんが絡むようになった。
「はい。夜中も眠れずぜいぜいしていて、次男と同じ病気ではないかと思った。周りの子より発育が遅かった」
―自分のことがいやになったことは。
「育児に手がかかり、家事が全然できなくて。夫と長男のお弁当が作れなかったり。妻失格だなと罪悪感があった」
―泣き声で不安定になった。
「部屋中の隙間に、テープで音が漏れないように埋めたりとか。神経質になっていた」
【周囲の助け】
―仙台市職員に電話で相談した。
「育児の悩みを話したくて(生後)4カ月ぐらいの時に思い切って電話した」
―家族に相談は。
「神経質になりすぎないように言われた。仕事が休みの時は(育児を)手伝ってくれた」
―病院でうつ病と診断され、三男を乳児院に預けた。
「はい」
―楽になった。
「罪悪感が大きくて、育児放棄と同じだよなと。家事も育児もできず、パニックになった」
―どう思うようになったか。
「『死にたい』とずっと思っていた」
―三男が、次男と同じ病気と分かった時は。
「これで病気の治療がちゃんとできると安心したが、育てられるか不安があった」
―自分のうつ病の症状は。
「波があった」
―命を取り留めたことを当時どう思ったか。
「正直、喜べなかった。せっかく楽にしてあげたかったのにどうしてって。それで(三男が)幸せなのかなって」
―今はどう思うか。
「自分勝手だけれど、生き返ったということは、生きたいんだと思う」
―もしもう一度、三男に会えたら。
「謝りたい。そして抱っこしてあげたい。会いたいなと思います」
―生きている限り、子どもの幸せはあると。
「まだ分からない。親は1日でも長く生きていてほしいと思う。でもそれが逆に、子どもを虐待しているような、つらいことをしているのではないか、とも思う。どれが幸せなのかよく分かりません」
―気持ちの整理がまだついていない。
「はい、そうです」
【夫の証言】
―次男の死亡についてどう思っているか。
「(妻は)頑張って付きっきりで面倒を見て、愛情もあったけど、亡くなってつらかった」
―(妻の)育児の悩みを聞いて、どういうことをしていたか。
「あまりしてあげられなかったかもしれない」
―なぜか。
「逃げだけど、仕事で忙しかった。妻の状況を見てあげられなかった」