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「最強の柔道家」 木村政彦氏(熊本市川尻出身)生誕100年

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1940年の天覧試合で優勝し、下賜された短刀を持つ木村政彦氏(木村俊彦さん提供)
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木村政彦氏の写真を整理する実行委員会事務局の福山龍太郎さん=熊本市南区
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木村政彦氏の生誕100年をPRする、実行委員会が掲げた横断幕=熊本市南区

 ことし生誕100年を迎えた熊本市南区川尻出身の柔道家、故木村政彦氏(1917~93年)。「最強の柔道家」と称され、プロレスラーとしても活躍したその偉業と人間的魅力を後世に伝えようと、地元住民らが実行委員会を組織。イベント開催やグッズ開発に取り組んでいる。

 木村氏は飽託郡川尻町(当時)生まれ。実家は加勢川の砂利採取業。少年時代から仕事を手伝い、強じんな足腰を鍛えたという。小学4年で、川尻小前にあった道場「昭道館」に入り、旧制鎮西中に進学。全国制覇している。

 鎮西の先輩、牛島辰熊氏(故人)に師事し、拓殖大に進学。37年から全日本の選手権で3連覇した。天覧試合を含め十数年間、無敗。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とうたわれた。

 戦後、牛島氏が旗揚げしたプロ柔道「国際柔道協会」を経て、プロレスにも参加。54年末には“昭和の巌流島”と呼ばれた力道山との戦いに敗北。この試合に関してはさまざまな臆測が錯綜[さくそう]し、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社・増田俊也著)など多くの小説やマンガの題材になった。

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 こうした功績を伝えようと、川尻商店街連合会長の福山龍太郎さん(53)が「強いだけではなく人間的な魅力にもあふれた人。多くの人に知ってほしい」と数年前からイベントを構想。しかし、昨年の熊本地震で一帯は大きな被害に遭い、「イベントどころではなくなった」と諦めかけた時、木村氏のモットー「3倍努力」を思い出したという。

 「人の倍程度では不覚を取る。3倍練習すれば誰も追い付けない」と木村氏が寝る間を惜しんで、1日9時間以上を練習に費やしたことに由来する。「この言葉を大切にして、川尻の復興にもつなげたい」と今年6月から動き出した。

 鎮西高柔道部や木村氏の長男俊彦さん(71)=同市西区=を訪ね、500枚以上の写真、新聞や雑誌の切り抜きなどを預かった。俊彦さんは「改めて父を取り上げてもらい光栄」と喜んでいる。

 木村氏と同じく鎮西高、拓殖大に進学し、本人からも薫陶を受けた柔道の元日本代表、秋本勝則さん(63)=宇城市=は「柔道家には神様のような存在。“3倍努力”の精神を若い人にも手本にしてもらいたい」と言う。

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 「眠っていても雄たけびを上げるほど柔道のことを考え続けた」「病気の妻の治療費を稼ぐためプロレスを始めた」…。豪快であり人情味にあふれた人柄を語るエピソードは尽きない。

 木村氏の誕生日である10日、川尻小で生誕100年セレモニーを開いた。県内外から訪れた約200人の関係者やファンでにぎわった。10月末にはプロレス時代の木村氏を紹介するイベントが控える。

 福山さんは「日本酒やTシャツ販売の構想も温めている。世界中が注目する東京オリンピックに合わせ、われわれも木村政彦と生地の川尻を盛り上げていきたい」と意気込んでいた。(西國祥太)

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